
〝布団の上に大の字になり、
罪悪感なら罪悪感のまま、じっとしている〟
〝兄貴を招き入れ、空っぽそのままで仕事をする〟
〝どうなるかわからないままで今この瞬間にいる〟
このような芸当ができるようになるまでには、
やはり、何かを考えている私なんかどこにもいない、
ということを〝真に悟る〟必要がある。
そういう意味で、僕は今になってようやく、
兄貴(聖霊)に全てを託す覚悟ができたと思うのだ。
👆 生れて初めてタイの名物料理
『カオマンガイ』を食べた
兄貴はいつも僕達の耳元で次のように語りかけている。
「お願いですから、私を信頼して全てを任せてください」
「私が全部やりますから、どうか信じて委ねてください」
「少しでいいので、どうか私を受け入れてください」
(原文:大橋のり子〝真我なるハート〟より)
そんな兄貴の声に、ようやく耳を傾け始めた。
そして、兄貴の声を聞いた瞬間、
わっとこみあげてくるのは、形容し難い愛だ。
そのとき、たとえどんな嘘をついていても、
どんなに誰かを憎んでいても、誰かを殺めていても、
どんなに自分や他人を責めていても、
どんなに仕事ができなくても、誰かに罵られていても、
また、どんなに惨めでも、絶対にそこに罪はなく、
完全な無罪であることを愛によって深く〝智る〟。
自分がやっているという自我の感覚が消えるほど、
愛され、満たされ、養われている、という感覚が増す。
解釈を捧げ、空っぽになった心に兄貴を招き入れる。
やがて、兄貴が自分だったことにハッとなり、
その時初めて、兄貴の本当の正体が明かされる。