
👆僕のバインミーのトイレにあったポスター
芥川は僕の実家のあるところなのでびっくり
怒涛の大号泣から数日が経ったが、
あの夜に味わった、巨大な罪悪感からくる苦しみは、
極道から足を洗う時に仲間からやられるアレにも似て
もう友達の振りをしなくなった自我の、
僕に対する最後の抵抗だったような気がする。
そして、ようやく、兄貴が定着し、
〝個の意識〟から〝神の理解〟へと移行を始めた。
そして、この移行は止まることはなく、
何を見ても、何を聞いても、何を味わっても、
神を観て、神を聞いて、神を味わっている。
別の言いかたをすれば、感謝と愛おしさで、
空間の素粒子が震えているような感じである。
過去に起こった嫌な出来事を思い出しても、
最後はやっぱり感謝へと変換されてゆく。
以前、自転車で相手とぶつかりそうになった事件
のことを書いたが、兄貴から見せられたのは、
あの時、相手が僕の自転車を止めてくれたお陰で、
後々、大きな事故にならずに済んだ事実だった。
そのことを智った瞬間、再度大号泣してしまった。
👇 自転車ぶつかり事件はこちら
自我への揺り返しはこれからもやってくるのだろう。
しかし、その揺り返しの度に、愛が定着してゆく。
それは、好きな歌や、ペットや、恋人や、趣味、
というような代替の愛ではない、リアルな愛だ。
なのでもう、
この夢の物語を恐れることなく進んでゆく。