
👆アパートのベランダから皆既月食を眺める
景色が作り物のプラモデルに見える
〝うわっ、上司の山田部長だ。嫌!〟
〝お前がさっき言ったその一言、絶対許さない!〟
〝なんであんなことをしてしまったんだろ。バカ!〟
私が思ったのでもなければ、私が決めたのでもない、
どこからともなく湧きだしてくる憎悪と後悔の思い。
じゃあ、それを思ったのが私でないのであれば、
これらの思いは一体どこからやってくるのか?

👆iPhoneではこれが限界か?
でもかなりよく撮れていると思う
悟りや非二元では、
見えたり、聞こえたりする5官の機能と同様、
思いもまた、思えるという意の働きであり、
それらの活動そのものがすでに〝悟り〟とされる。
奇跡講座では、これらの思いは、神から分離した、
という無意識の罪悪感から来ている、としている。
(簡単に書きすぎて、誤解があればスンマソン!)

これら、無意識の罪悪感からくる思いを、
私という解釈を通さずに、ただ赦していると、
一見、山田部長とか、あの一言、を赦すように見えて、
本当は〝分離した夢〟というたったひとつの思い込み
だけを赦していることが解かってくる。
👇 赦しが何かも解っていなかった頃のボク
無意識からくる自動プログラムが起動していて、
あらゆる思いが設定どおりに湧いてきている。
それを自分が思った、と勘違いしている。
そして、それを止めるには、
赦すしかない。