
僕たちが生きていると思いこんでいるこの世界って、
スマホやパソコンの中と全く同じなんじゃないか、
って最近よく思う。
何を見ても、誰と話しても、どこにも実体がないからだ。
これはもう、ああ知ってる知ってる、のレベルではなく、
赦せば赦すほど、張りぼての妄映が露わになってくる。

僕たちは、スマホの画面に映るニュースや動画を、
寝る間も惜しんでのぞき込んでいるが、
じゃあ、その画像や動画の実体がどこにあるか、
と言われても、探し出すことができない。
スマホの画面は、ビット粒子の集まりに過ぎないし、
スマホをたたき割って中を探して見たところで、
基盤の上のCPUがピコピコしているだけである。
また、インターネットを取り出して見せてみろ、
と言われても、それがどこにあるのか、誰も知らない。
例え、その動画をアップした人に直接会ったとしても、
それは動画をアップした人なのであって、
動画そのものではない。
要するに、どこにも実体がないのだ。
なぜなら、スマホやパソコンの中の情報は全て、
過去のものであり、過去であるがゆえに、
それはただのデータであり、実存ではない。
なのに、僕たちはそんな実体のないものに没入し、
そこから得られる情報を、自分よりも信じている。
この現実世界も、スマホやパソコンと原理は同じだ。
相手の体を切り刻んでみても、
どこにも、その人自身を見つけられない。
結局、本当はどこにも実体などないのである。
人は無意識の心でそのことを感じ取って、
理由のない不安に襲われ、うつになったりしている。
これはもう、ホラーを通り越してお笑いだ。
〝実在(ここに今ある存在の状態)は脅かされない。
実在でないものは存在しない。
ここに神の平安がある〟
そう、僕たちは騙されているのだ。