
〝世界を捨てなさい〟というパーサの言葉が、
いよいよ現実味を帯び始めた今日この頃の僕である。
〝自我なんて存在していなかったし、
自他の分離も起こってはいなかった。
よって、この世界自体も生じてはいなかった。
この世界は全部自分の妄想(夢)であり、
結局、自分が自分を赦すだけだった。〟
そんなこと、10年前から知ってた。
しかし、それが事実として響いたのは最近のことだ。
例えば、今、周囲にいる誰かとのコミュニケーションが
上手くいかないと感じているのなら、それは、
父とのコミュニケーションが断絶されているからだ。
なので、
誰かとのコミュニケーションに問題があることを通して
父とのコミュニケーションを回復する必要性を智る。
それには、自分は創造主ではなく、父の被造物だ、
という事実を100%受け入れる必要がある。
この受け入れがたい事実を受け容れることが、
この夢の世界から抜け出す鍵となってくる。

現実的な例を挙げると、家や土地の権利、預金残高、
車、貴金属、株式証券など、これは私の所有物だ、
と思いこんでいるものが誰にでもあると思うのだが、
普段は「全てを神に委ねます」と言っていても、
いざ、それらの所有物が取り上げられそうになると、
気が狂ったように死守しようとするのが常である。
だが、実際には〝私のもの〟なんてどこにもなく、
全ては幻想であり、その証拠に、肉体を脱げば、
巨万の富も、ひとつ残らず霧消無散する。
それに、それがたとえ夢の産物であったとしても、
被造物である自分が創りだしたものは、
ひとつ残らず創造主である父に属するものなのだ。
金持ちが天国に入るのは、駱駝が針の穴を通るより
難しい、と言われる所以はここにある。
じゃあ、自分が所有している財産を全て手放して、
神に返せるか、と言われたら、僕だって無理だと思う。
肉体を脱ぐまではご飯を食べねばならないからだ。
しかし、ここで敢えて、精神的でもいいので、
これは自分のものだと言い張っていたものを父に委ね、
自分のコントロール下に置かず、父に任せきると、
私の所有物だと思っていたものも、
他者の所有物だと思っていたものも、
全てが私だった、という感覚がやってくるから不思議だ。
正しくはないが、分かりやすい言いかたをすると、
銀行のお金、隣に建っている豪邸、あらゆる被造物が
全部〝私〟に属しているように感覚化されてくる。
そして、自分のものだと思っていたものを全て神に返し、
神と同じものを与えられていたことを悟った時、
自分も、宇宙も、消滅する。