
👆授業の後、友人と梅田の大衆食堂で飲む
今日は小論文クラスの授業だった。
卒業年次のクラスで、あと1か月でクラスは終わる。
人数は19人で、ほとんどの生徒はネパール人だ。
まあ、1年生の時から彼らを教えているので、
気心は知れている。

👆1杯やりながら「今日も色々ありましたわ~」
その中の一人の男子生徒の態度が悪かったのだ。
起立をして挨拶をするときも、別の席で寝ていて、
起きて自分の席に行きなさいと言っても、
のろのろイヤイヤ1分くらいかけて歩く。
その間、みんな待っている。
挨拶をして授業を始めようとしたら、
今度はトイレに行きたいという。
急なトイレではなく、休み時間に行き忘れたのだ。
生理現象なので仕方なく許可し、戻ってくると、
ずっと隣の生徒とくっちゃべっている。
この生徒は、いつも喋っているか寝ているか、で、
要するに、授業に参加する意思が無いのだ。

👆締めのご飯は台湾の咕嚕飯
「出席にするから、帰って下さい」と僕は言った。
するとそれは嫌だ、勉強したい、という。
じゃあ、静かにしなさいと言うと、他の人もうるさいのに
どうして僕だけ、と反抗してきた。
今回だけではなく、毎回態度が悪いので、
ここはちょっと〝絞めて〟おこうと思い、
「出て行かないのなら、先生は授業をしません」
と言って、僕は教材をまとめて教室を出た。
すぐに、主任の先生(女性40代)に報告し、
クラスに行ってもらって色々いさめてもらい、
最終的には、僕がクラスに戻って授業をした。
問題の男子生徒は、真面目に授業を受け始めた。
(やったら、できるやん!)
他の生徒達も僕の顔色を伺いながら勉強している。
まあ、こんなことはよくあることなので、来週になれば、
また普通の授業に戻っていると思うのだが、
一連のやり取りのあと(その最中は絶対にムリ)、
これはもう、絶対に赦す、と腹に決めていた。
昔の僕なら、自我の仕掛けに引っかかった、と思い、
やっちゃったことに対して罪悪感を感じていただろう。
自分の中で、ある人の身体を有罪だと決め、
無意識の罪悪感をその身体に投影して攻撃する、
そのからくりを兄貴と共に見て、赦す。
ここで起こっていることを赦すのではなく、
その原因である心へ戻って赦す。
全て夢の中でしか起こっておらず夢は現実ではない。
リアルでないのなら、そこに罪や罪悪はない。
「神は恐怖ではなく、愛である」と呟く。
自分がどう行動したか、なんてどうでもいい。
要は、ちゃんと気づいて赦しているか、である。
生徒達ともあと一か月、彼らの心に宿っている身体
(体に宿っている心、ではない)を赦し続ける。