
👆昨日会った友人となぜか今日も会って、
茶屋町のカレー屋さんで夜ごはん
「私は悪くないもん。そっちも同じことをしているのに
なんで私だけ言われるんだ。だから私は謝らない」
昨日書いた、態度の悪い生徒の赦し事件、であるが、
僕も、相手の生徒も、相手の中に罪を見ることで、
お父さんを殺した、と思い込んだ時の罪悪感を、
無かったことにしようとしていた。
だが、父はそんな狂った考えには反応しなかった。
自分は父を殺してはおらず、ずっと父に愛されていた。
だから、こんなアホな夢は捨てて戻っていいんだ。

👆 カツカレー600円。安すぎる!
外人も多数訪れる有名店でいつも満員
原因は、身体と身体の間にあるのではなく、
心の中の誤った思い込みからくる罪悪感にある。
ここへきてようやく〝原因のコース〟の意味が判った。
真の赦しは、他者を非難したり批判したりしない。
だが、こう書くと、誰かを非難したり批判した自分に、
最悪感を感じてしまったりする。
ノー、である。
身体の自分は、昨日の僕のように誰かを非難したり、
批判したりするかもしれない。
しかし、それを赦す心の自分が原因に立ち戻って、
ちゃんと赦すことができれば、身体の自分がやった、
避難や批判は、赦して戻っていくために出てきた、
愛の出来事、となる。
身体の自分が、何を感じるかを心の自分に告げる
のではなく、心の自分が、身体の自分にどう感じる
かを告げるべきなのだ。
なので、昨日の赦しは、そのことを忘れずにいれば、
身体は何をしたり、言ったりしても問題はない。
なぜなら、
身体が経験することは夢の中にしか起こっておらず、
夢は現実ではないからだ。
「この世界で起こっている事は、
実は何度も何度も違う形で生き直されている
神からの分離だから、分離という同じ映画を
無限に再生しているようなもの」
(『不死というあなたの現実』より抜粋~)