
👆先月、のりちゃんに会った時に撮った
新宿の様子。他者の身体という幻想
ほぼ毎日、授業が終えたあと、近くの喫茶店で、
いつものカウンター席に座り、蛍光ペン片手に、
ゲイリーの『不死という…』を爆読みしている。
店の兄ちゃんももう、僕が何も言わなくても、
アイスコーヒーを出してくれるようになった。

👆他者の身体が、身体ではないことを通じて
自分の身体も存在しないことを知覚してゆく
毎回、本の内容を、
今の自分の赦しに当てはめながら読み進める。
例えば、僕が授業で、やんちゃな生徒たちを赦す。
僕には別段、何かが起こっているようには思えない。
生徒達は、ある時は可愛いし、ある時は憎たらしい。
相変わらずで、その度に、僕は赦し続ける。
しかし、兄貴は僕の赦しを、全ての異なる次元、
宇宙のあらゆる場所、存在するように見える、
全ての平行宇宙へと響き渡らせ、無意識の罪悪感と、
それが投影するカルマを削除している。
それは僕の過去生、全ての未来生へと及ぶ。
夢の中の僕が喫茶店でコーヒーを飲んでいる間にも、
信じられないことが起こっているのだ。
そして、僕がエゴではなく、兄貴を選ぶと、
兄貴は時間を崩壊させることができる。

👆初めて行った裏天王寺の様子
「赦しとは、他者が何者なのかを選ぶことを通じて、
本当の自分を何者だと信じるか、という選択なの」
とパーサは言う。
赦しとは、こいつには罪がある、と、
ついつい反応して避難してしまう他者の身体を、
そうではない、と否定してゆくプロセスなのだ。
またそれは、それらの身体は存在しない、
という姿勢を取り続けることで達成される。
他者の身体が存在しないのであれば、
自分の身体だって同じく幻想だ。
だからこそ、本当の自分は脅かされないんだ。
「僕が身体でないならば、
守るものも、気遣うものも、何もない」
と言うゲイリーの言葉に深く頷く。
だから、
自分が他者の肉体に反応してしまっても、問題はない。
言い合いになっても、怒りを覚えても、大丈夫なのだ。
赦すはずなのにこんな反応をしてしまった自分、
に対する罪悪感など、放っておけばよい。
要は、何かをしてしまった自分を赦すのではなく、
何もしていなかった相手と自分の身体を赦すのだ。
僕なんて、毎日生徒とけんかしてるし…(笑)(爆)
それでも、何もしてないい。存在しないから。

👆夢の世界は身体だらけに見える
この喫茶店でゲイリーを爆読みする1時間が、
いまの僕にとっては、
一日の赦しの集大成、みたいになっている。
時折、目を閉じて瞑想めいたことをしている僕を、
店の人たちはどういう目で見ているのだろう。
あ、いけないいけない、彼らは身体ではなかった(笑)
👇なつかしい。香港駐在員時代の僕