
『不死という…』を喫茶店で爆読み中の僕だが、
今日、もっとも救われたと感じたのは、
〝思考が決定するのは人生の経験であって、
人生に何が起こるかじゃない〟
というアーテンの言葉だった。
どういうことかと言うと、形のレベルで何が起こるか、
金持ちか貧乏か、認知症や癌になるか、ならないか、
離婚するかしないか、モラハラされるかされないか、
職業が医者か、労働者か、社長か、プーか、など、
全て生まれる前に決まっている、という。
よく考えてみると、それは間違ってはいない。
ふっと湧き出てきた思いだけで全てが決められており
自分では何も決めていない。
私が今日カレーを作ろうと決めました、と言っても、
カレーにしよう、という思いが湧いてこない限り、
カレーは作れないようになっている。
これが人生のあらゆることを決定づけている。
そういう意味で、この夢の人生は公平ではない。
要するに、いまの自分が、この現実において、
良しとされる存在であろうがなかろうが、
そんなことはすでに決まっていて、
真実の自分とはなんら関係ない、と自覚した時、
僕はすごく救われた気持ちになったのだ。
決まっているから、何をしても無駄だから、
どうでもいい、と言っているのではなく、
今の自分がそうであるのは自分のせいじゃない、
だから大丈夫なのだ、ということが言いたかった。
肝心なのは、どんないい事が起こったか、とか、
どんなよくないことが起こったか、ではなく、
その起こったことをどう経験するか、なのだ。
僕はもう、あらゆる夢の出来事を、
夢なので起こっていないこととして、
兄貴に任せ、削除してもらう覚悟が決まっている。
ていうか、変更不能なストーリーを、
自分で決めて、自分で切り開いている、
と思い込んで生きている、バカげた夢の世界に、
長居は無用だと思っている。