香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

何も変えられない

 

 

『不死という…』を喫茶店で爆読み中の僕だが、

 

今日、もっとも救われたと感じたのは、

 

〝思考が決定するのは人生の経験であって、

 

 人生に何が起こるかじゃない〟

 

というアーテンの言葉だった。

 

 

どういうことかと言うと、形のレベルで何が起こるか、

 

金持ちか貧乏か、認知症や癌になるか、ならないか、

 

離婚するかしないか、モラハラされるかされないか、

 

職業が医者か、労働者か、社長か、プーか、など、

 

全て生まれる前に決まっている、という。

 

よく考えてみると、それは間違ってはいない。

 

ふっと湧き出てきた思いだけで全てが決められており

 

自分では何も決めていない。

 

私が今日カレーを作ろうと決めました、と言っても、

 

カレーにしよう、という思いが湧いてこない限り、

 

カレーは作れないようになっている。

 

これが人生のあらゆることを決定づけている。

 

そういう意味で、この夢の人生は公平ではない。

 

要するに、いまの自分が、この現実において、

 

良しとされる存在であろうがなかろうが、

 

そんなことはすでに決まっていて、

 

真実の自分とはなんら関係ない、と自覚した時、

 

僕はすごく救われた気持ちになったのだ。

 

決まっているから、何をしても無駄だから、

 

どうでもいい、と言っているのではなく、

 

今の自分がそうであるのは自分のせいじゃない、

 

だから大丈夫なのだ、ということが言いたかった。

 

肝心なのは、どんないい事が起こったか、とか、

 

どんなよくないことが起こったか、ではなく、

 

その起こったことをどう経験するか、なのだ。

 

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僕はもう、あらゆる夢の出来事を、

 

夢なので起こっていないこととして、

 

兄貴に任せ、削除してもらう覚悟が決まっている。

 

ていうか、変更不能なストーリーを、

 

自分で決めて、自分で切り開いている、

 

と思い込んで生きている、バカげた夢の世界に、

 

長居は無用だと思っている。