
👆 中崎町のレトロ街
古民家を改造した古着やさんなどが並ぶ
赦しが進み、自分の心が少しづつ癒されてくると、
神(存在そのもの)に触れた〝ような〟体験が起こり、
現実の見え方がこれまでとは一変したりする。
例えば、
愛用しているコップや椅子に神の愛を感じたり、
パートナーやペットが、以前よりもっと愛おしく思えたり、
音楽や趣味などに天国の自由を見いだしたりする。
また、愛そのものだ、とか、光に満たされている、とか、
存在そのものが私だった、
という境地に至ったりする。(笑)

👆 今では見られないデザインのシャツが
2000円で買えたりする。
僕の場合も、先にハートが開いてしまったせいか、
神の愛がぶわーっと押し寄せてきて、神しかない、
神の想いそのもの、無限の全体そのものが在る、
という体験の中にいた時期があった。
しかしそこには、神に気づいている〝私〟がおり、
愛そのもの、光そのものを体験している自分がいる。
それを〝知っている〟時点で、神そのものではない。

👆 古着は高い、というイメージはもう古い?
だから、赦さなければならない。
分離は起こっていなかった、ような体験をしても、
私は神の子だ、というような気付きが起こったとしても
ここでは〝…のようなもの〟でしかない。
だから、体験全てを赦すのだ。
〝あなたは、夢見る者ではなく、夢である〟
父が待つ故郷へ永遠に帰還するのは、
〝夢である私〟ではない。