香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

赦すのは〝そこ〟じゃない

👆街にはクリスマスのイルミネーションが…

 でも、なんか、90年代に感じた

 街全体がクリスマスでウキ足立っているような

 わくわくする感じがないんだよねえ。

 

 

〝世界は私が創る〟〝自分軸〟〝望めば叶う〟

 

など、エイブラハム系引き寄せの書籍の中には、

 

自分の内側を変えることで外側の現実がよくなる、

 

みたいな言葉が溢れているが、実際には、

 

現実は絶対に変えられない、という話である。

 

 

今日何を食べるか、仕事で誰に会って何を言うか、

 

どんな感情を持ち、誰を愛して、だれを嫌うか、

 

また、どうやって健康を維持してゆくのか、など、

 

全部この私が選んで決めている、と思っているが、

 

何一つ決めてないし、何の結果も出してない。

 

この人嫌い、と私が思った時にはもうすでに、

 

この人嫌い、という思いが出てきた後であり、

 

自分が 「この人を嫌うんだ!」 と決めたから、

 

嫌いという感情が湧き上がってきたわけではない。

 

どこからともなく、瞬間的に、泡ぶくのようにふっと

 

浮上してきた「この人嫌い」という思いを捉え、

 

「こんなことを私が思ったあー!」と言っている。

 

そして、嫌いという感情が湧き起こるか起こらないか

 

自分では絶対にコントロールすることができない。

 

こういう感情が湧いてこないようにしよう、

 

なんて、不可能なのだ。

 

なぜなら、そもそも、私などいないからだ。

 

しかしそこに、それを嫌う私、が立ちあがった瞬間、

 

罪悪感からくる恐怖や不安が生まれ、やがては、

 

恐怖や不安を何とかしようと攻撃や防御が始まる。

 

そして、コース兄弟は、これを赦そうとしてしまう。

 

 

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ちがうのだ。

 

全ての罪悪感や無価値感からくる恐怖や不安は、

 

私が自分の力でそれをやっている、

 

という錯覚から来ている。

 

実際、私は何もしていないし、何も決めていない。

 

映画はすでに撮り終わっており、私の肉体もまた、

 

撮り終えた映画の中の登場人物にすぎない。

 

だから、存在すらしていない。

 

移り変わるもの、消えてゆくものは現実ではない。

 

真のリアルは、ずっとここに在って変化しない。

 

なので、真に赦すべきなのは、

 

この人嫌い、と思った自分ではなく、

 

その思いが湧いてくる、その大元にある

 

〝分離の瞬間〟である。