
👆西成商店街にある惣菜店〝まんぷく屋〟
サバの味噌煮150円/とんかつ200円、
から揚げ弁当は唐揚げもご飯の量もすごくて
いつも3回に分けて食べている
今回の〝年金少なすぎてどうしよう事件〟を契機に、
自分が一番欲しいものは何なのかを考えてみた。
自分は神と一体でいる時のあの感覚だけが欲しい。
あの完璧な愛に満たされた感じしか欲しくない。
これ以外の〝まがいもの〟は何ひとつ要らない。

👆80歳を超えたお爺さん二人でやっている
ここもいつ閉店になるか、とひやひやしている
お金があるから安心、この人がいるから大丈夫、
これを食べていると(または食べないでいると)健康、
これをしていると癒される、といった代替品を通して、
愛や喜びを感じるのではなく、チョクに100%、
永遠で完璧な安心、大丈夫、癒しだけを求める。
なぜなら、それが本来の僕たちの姿だからだ。
しかし、現実世界の物理的な安定を摑みながら、
永遠の平安を手に入れるのは絶対に不可能だ。

👆もうすぐ堀川戎神社の十日戎
例えば、
プロの歌手になりたいと思っていたとする。
しかし、歌手だけではなかなか食べていけないので、
とりあえず、市役所に勤めて安定した収入を得ながら、
プロの歌手を目指して活動していたとする。
しかし、
本当のプロの歌手になる人は、ほとんどいない。
なぜなら、自分がプロの歌手になれることを、
心の中では、本当には信じていないからだ。
だから、市役所に勤めている。(👈ただの例です…)
すなわち、この世界で、
自分を安心させてくれる状況、
自分に平安をもたらしてくれるあらゆるもの、
愛すべき人やペットなどを少しでも握りしめたまま、
夢から目醒めて、完璧な愛を得ることはできない、
ということが言いたかった。
もし、自分は完璧で永遠のエクスタシーそのものだ
ということを信じているのなら、
この世界での平安など、
これっぽっちも欲しいとは思わないに違いない。
そして、これがまたパラドックスなのだが、
全ての思考からくる執着が完全に落ちきった瞬間、
これまで代替品だったものたちが、
真実の愛で輝いて戻ってくる。
家族や、ペットや、やりがいのある仕事、などが、
全く別のものであったことを智るのだ。
というわけで、ここへきてようやく、何のてらいもなく、
神だけが欲しい、それ以外は全部要らない、と、
心底はっきり宣言できるようになった。
こうして思考が180℃反転してしまうと、
ちゃっかりやっているように見えていた兄弟達が、
僕をこの夢から脱出させるために結成された、
〝愛の応援団〟だったことに気づいた。
それでもまだしばらく、赦しは必要なようで、
引き戻そうとする自我の思考をただ赦している。