
〝年末の歯痛で地獄事件”から学んだことは、
当たり前のことだが、
歯の治療は歯の先生に任せるしかないということだ。
いくら自分の力で治そうとしても、無理である。
だが、
うダメ、痛くて耐えられない、降参だ、と言って、
歯医者を訪ね、診察台に座り、口を大きく開けて、
じっとしているところまでは自分でやらねばならない。
それは、無意識の心の中の〝治療〟に関しても同じで、
兄貴の前で、完全無防備で大の字になり、
〝じっとしている〟ところまでは自分でやるしかない。

自分で考えて、自分で決めて、自分で行動することを、
本当にやめて、全てを兄貴にやってもらうには、
兄貴を信頼して〝じっとしている〟ことが大切になる。
神に触れるには沈黙が不可欠だからだ。
しかし、僕達はどうしても〝じっとして〟いられない。
私は神の愛に満たされています、と唱えながらも、
いざ、診察台に座って、兄貴から、
「じゃあ、今から正気に戻す治療をしますからね。
ちょっと、動かずにじっとしててください」
と言われると、急に怖くなり、やっぱり止めます、
と叫んで、全力で逃げ出してしまうのだ。
そういう意味で、
自分は本当に兄貴の前で大の字になる覚悟があるのか、
もう一度、自分に問いかけ、見てみる必要がある。
赦しを実践してゆけばいつかそうなるのね、ではなく、
兄貴の前でじっとしている、
その覚悟が決まった時から、本当の赦しが始まる。