
記憶って本当にウソだ、としみじみ思うボクである。
僕たちは、
記憶によって自己のアイデンティティを保っている。
記憶がなければ、私という自己を維持できない。
なので、美味しいものを食べに行ったり、
海外を旅行したり、やりたい仕事をすることで、
少しでも〝よい記憶〟を脳に収蔵しようとする。
なぜなら、
それらの記憶こそが自己の存在証明になるからだ。
👇〝メモリー・ハッカー〟の記事は、我ながら、
本当によく書けていると思う。再読すべし!
しかし、記憶ほど不確かで、曖昧なものはない。
私にはこんな過去があります、これが私の人生、
というけれど、それって記憶でしかない。
記憶が変われば、過去も人生も別のものになる。
そもそも、記憶は思い出されない限り、
確かにそれが起こった、と確認することができない。
逆に言えば、
思い出されない記憶は存在しなかったことになる。
別の言いかたをすれば、思い出さないことで、
隠蔽したい記憶を、起こらなかったことにできる。
そして、赦しを実践し始めると、待ってましたとばかり、
兄貴が夢の削除に取り掛かる。
せっかく、無かったこととして隠蔽していた記憶を、
次々に意識に浮上させ、直視させようとする。
そして、それは夢で幻想だから手放していいんだ
と、その記憶からくる罪悪感を返させようとする。
しかし、僕たちは、隠蔽していたおぞましい記憶が
自分だと思っているので、そんなおぞましい自分に
身悶えしながら罪悪感まみれで闇落ちしてしまう。
そうならないように、僕たちは、
はどんな記憶も温存しておきたいと思っている。
それでも、この夢の世界から永遠に去るには、
次々に浮上する夢の記憶から生じる罪悪感を、
兄貴へと捧げ続けなければならない。
永遠に取っておきたい素敵な記憶も、
二度と思い出したくないような記憶も、
幻影であり、本当ではない。
なので、そっくりそのまま神へと返してしまっていい。
そうすることで、僕らは記憶の呪縛から解放され、
その時に本当の記憶、神の記憶が復活するのだ。