香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

神の愛の自我バージョン

 

 

『神の使者』⇒『不死という…』⇒『イエスとブッタが…』

 

を経て、現在『この宇宙は夢なんだ』を再読中である。

 

でも、これを読み終わったら、もう次に読む本がない。

 

いったい何を読んだらええんや!

 

えっ?テキスト読めって?いやあ、それはちょっと…。

 

(て、なんでやねん!)

 

 

それでいま 『この宇宙は夢なんだ』の中の、

 

〝特別な愛の関係〟のくだりを読んで思ったのが、

 

神の愛に触れて、、全ては神の想いの顕れ、

 

本質そのもの、私は神の愛そのもの、愛しかない、

 

みたいな体験もまた特別な愛の関係だということだ。

 

全ての中に神を観ている〝わたし〟がいる時点で、

 

すでに、神の愛を奪って、それを感じている。

 

これって、純粋非二元ではなく、

 

神の愛の自我バージョンなんだと…。

 

 

赦しが進み、心の中が癒されてくると、

 

薄皮一枚の現実のスクリーンの奥から、

 

実相の光が透けて見え、愛そのもの、神そのもの、

 

と何でも〝そのもの〟に見えてしまう時期がある。

 

そして、そこにとどまり続けるコース兄弟も多い。

 

なぜなら、その愛の感覚がとてもリアルだからだ。

 

しかし、そこに1ミクロンでも〝わたし〟がいると、

 

絶対にこの夢の世界を終われない。

 

愛そのもの、と言う夢がずっと続いてゆくのだ。

 

なので、やっぱり最後まで赦しが必要になってくる。

 

愛そのもの、神そのもの、さえも、神に返すのだ。

 

 

僕もそうだったが、

 

何らかの体験に至り、神の想念に触れて、

 

爆裂な愛を感じている兄弟からすれば、

 

リアルな体感がある分どうしてもそれを手放せない。

 

それがゴールなんだ、と確信してしまう。

 

自我にすれば、

 

愛を感じていようが憎悪を感じていようが、

 

そこに分離した自己がいさえすればOKなので、

 

「愛そのもの、全ては神の想いの顕れ、神は在る…」

 

と言いながら肉体を持ち続けてくれればそれでいい。

 

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いやあ、ここまで来るとかなり上級者レベルというか、

 

本当に微妙なところを見てゆく段階となってくるのだが

 

神の愛(想い)は肉体が感じる愛をはるかに超えている。

 

愛そのもの、神そのもの、本質そのものさえも捨てた時、

 

そのものを超えた神が明らかになる。