
僕のクラスにいたパキスタン人の学生たちは、
反抗的ではあったが、僕がきつく注意をすると、
いちおう僕の言うことは聞いてくれていた。
それでも、最初の頃は、
どう対処すべきか、ばかりに気を取られ、
彼らを〝本当に観る〟ことができていなかった。
そして、そんなとき、僕が真っ先にやるべきことは、
彼らを愛として観ることでもなければ、
彼らを赦して神に解放してやる、ことでもなく、
その時のその瞬間(👈ここ大事)に出てきた、
自分の心の中の罪悪感に気づくことだった。
相手の中に罪を投影して見ている自分に気づいて、
それは詐欺師のウソだと見破るのだ。
詐欺師はとにかく、起きていることにフォーカスさせ、
そんな事をしてしまった僕らに罪を感じさせようとする。
僕らは、
自我に〝感じさせられた〟罪悪感を逆手に取り、
その、あると思っている罪悪感を見ることで、
分離は起こっていなかったことを思い出して、
その間違いを兄貴に訂正してもらう。

そして最近、そのことが起こっているその最中に、
それがウソであることに気づいて赦すことが、
とても大切だな、と感じている。
なぜなら、
事が起こっているその瞬間に捉えて赦すことで、
この現実が本当にリアルではないことが
その場ではっきりし、夢の出来事を本当の夢として、
平安の中で見過ごすことができるからだ。
仕事終わりの電車の中でもなければ、
お風呂に入っている時でもない、
いまここでこれを赦す、ことができてくると、
今この瞬間の平安がリアルになってくる。
赦しが楽しくなってくる。