
エックハルト・トールが言っていた(今も言っている?)
〝今に在る〟〝臨在〟〝今の力〟というのは、
今この瞬間に起こっているように見えていることを、
今この瞬間に、夢だと気づいて赦すことだったことが、
ようやく腑に落ちて解かってきた。
そして、今この瞬間の赦しとは、事後の赦しではなく、
その事が起こっている、まさにその真っ最中に、
これは夢で、分離は起こっていなかったので、
今、自分は間違った解釈をしていることを思い出し、
湧き上がるあらゆる全ての罪悪の思いを、
その瞬間に、兄貴へ明け渡すことなのだ。

じゃあ、今日会社で起こった、この事やあの事を、
事が起こっているその瞬間に赦すのと、
お風呂の中や、帰りの電車の中で赦すのとでは、
いったい何が違うのかというと、前者は、
その瞬間に顕われている100%ナマの感情を、
ダイレクトにむき出しのまま赦している。
それに対し、後者は、今日のあの時間に起こった、
記憶を思い出して、今感じている想いを赦している。

どういうことかと言うと、
例えば、同僚からちょっとした一言を言われて、
心が軽~く、ちょっとだけざわついたとする。
今この瞬間なら、その小さなざわつきを捉えて、
赦すことができるが、電車に乗ったころには、
その程度のざわつきはすでに忘れてしまっている。
また、同僚の前で上司にミスを注意され、
恥をかかされてムカついたとする。
だが、その時の出来事をお風呂の中で思い出しても、
その瞬間に感じたマックス100%の感情は通り過ぎ、
「自分にも悪いところがあったし…」というように、
いささか反省モードに思いが変化していたりする。
要するに、
お風呂の中や電車の中で思い出している感情は、
お風呂に入っていたり、電車に乗っている、
その瞬間に出ている感情であり、
事の最中に赦しているものとは〝別モノ〟である。
だから、24時間、
瞬間瞬間に警戒していることが必要なんだ。
もちろん、後付けで思い出された感情もまた、
その瞬間に顕われたナマの思いであり、
常に赦さなければならないのは当然なのだが、
何が言いたかったかと言うと、瞬間瞬間の今、
目の前に顕われている罪悪感を見つめ、
赦していくことが、神に返してゆく赦しとなる。
なぜなら、神に繋がれるのは過去でも未来でもなく、
常に今この瞬間であるからだ。