
👆旧長浜駅(今は博物館になっている)
先日ここで紹介したジャックポットの動画に対して、
かなりの読者の方々、
特に敬虔な(笑)コース兄弟の方々が、
大きな不快感を抱かれたようである。
当然だ。
不倫だ、DVだ、上司に嫁を寝取られた、などと、
夫婦が争っている映像なんか誰だって見たくない。
しかし、少なくとも、この動画に出てくる彼らは、
第三者の力を借りながらも、真っ向から、全力で、
相手に投影された自分と対決している。
本音を相手にぶつけることで、自分を赦している。
もちろん、本人はそんな事には気づいていないが…。

👆D51が展示されていた
ケンカしたり言い争うのは誰だってしんどいし怖い。
ネガティブな感情をむき出しにして、
自分の醜さをさらけ出すなんて耐えられない。
なので、できれば、柱の陰から(笑)、
密かに自分の心の中だけを赦して、
なんとかこの状況を愛に変換できないか、
と密かに思ったりするが、そううまくはいかない。
抑えつけられた心が納得しないからだ。

👆見知らぬ人と撮り合いっこ
家族や夫婦の間で、言いたいことが言えないのは、
そこに〝利害と依存〟があるからだ。
その関係性を失うと、金銭面や生活面や精神面で、
自分にいろいろと不利益が生じるから、
相手に言いたいことは多々あれど、それは隠して、
なんとか穏便にやり過ごそうとする。
上司と部下、先生と生徒、会社と得意先、店とお客、
といった、金銭によって利害関係がハッキリしている
関係性であれば、いさぎよく我慢もできるけれど、
親や娘や息子、妻や夫、または、親友同士といった、
〝情〟が絡んでくる関係性の中では、
なかなかそう簡単に赦すことができない。
そもそも、家族や夫婦などのパートナーシップは、
依存し合うことで成り立っている。
だが、
その依存度がどちらかに大きく偏ってしまうと、
物理的な負担(金銭的、肉体的負担など)が、
一方だけに重くのしかかってくることになる。
こんな時は、ちゃんと相手に自分の思いを伝え、
きちんと話し合って解決する必要がある。
場合によっては、言い争ったり、取っ組み合ったり、
修羅場になることもあるだろう。

しかし、
思いきりケンカできる相手だからこそ神の使者なんだ。
ケンカを仕掛けてきているように見える相手は、
自分の密かな罪悪感を投影した自分自身なので
自分に決着をつけられるのも自分しかいない。
そういう意味で、ジャックポットに出てきた人たちは、
自分の中の罪悪感と向き合う、と覚悟を決め、
ありったけの勇気を振り絞って、今、目の前にいる、
〝他人のように振舞う自分〟というモンスターに、
真っ向から戦いを挑んだ兄弟たちだ、といえる。
だから、このブログで紹介したのだ。
今この瞬間、どんな修羅場が展開されようと、
ちゃんと行動レベルで思いを伝えられたことで、
心は納得し、癒され、浄化されてゆく。
そしてこのとき初めて、憎悪していた相手が、
自分を救うために、わざわざモンスターとなって、
暴れまくってくれていた神の使者だったことを智る。