
今この瞬間瞬間を徹底的に赦しまくっている。
正確には〝赦せる〟ように兄貴に委ねまくっている。
瞬間瞬間、かっと目を見開き、選び直すことで、
自動的に、今この瞬間にいることになる。
過去と未来にしか存在しない自我は、
今この瞬間には決して入ってこれない。
よって、兄貴による贖罪は常に今に基づいており、
今この瞬間が聖なる瞬間となる。

タッチの差で電車に乗れなかった。
コピー機で印刷しようとしたら、他の人が使ってた。
トイレで手を洗っていて鏡見たら髪ぼさぼさだった。
苦手なあの人にどうLINEを返そうか思いあぐねる。
道ですれ違った人が変な目でこちらを見た。
こういうのって、後で思い出して赦すのは難しい。
だから、その瞬間の、見る、聞く、匂う、味わう、感じる、
を、今この瞬間に赦すのだ。
いやあ、ここまで来たらもう〝赦しオタク〟だよお~、
と自分でもちょっと引く。

こうして、今この瞬間を見つめて赦すようになると、
生活がどんどん丁寧になってくるから不思議だ。
これしてみよう、あれ見てみよう、あそこ行ってみよう、
という思いに「でも…」「今度にしよう」が出てこない。
言おうと思ったことは今言おう、という感じになる。
その結果が、サントリー見学であり、長浜旅行だった。

スーパーで食材を選ぶ時も丁寧に選ぶようになった。
それは、価格や栄養やカロリーとかで選ぶのではなく
本当に、今、何が食べたいのかで選ぶ。
また、自転車をこいでいる時も、
今までは、どの道を行けば最短で目的地に着くか、
みたいな感じだったが、今は、街の風景を見とめ、
喧噪を聞きとめ、肌で寒さや暑さを感じながら進む。
今この瞬間瞬間を赦すプロセスはどこか、
悟りの境地に至るプロセスに似ているな、
と思った。
普段、
会社で働いたりして日常生活を送る僕達が、
禅のお坊さんが修行でするような、
見えているまま、聞こえているままでいる、
判断や解釈をせずに見るなんて至難の業だ。
また〝何かの拍子でたまたま〟悟った、
非二元マスターを真似ても意味がない。
それに、神が不在な悟りや非二元だけでは、
夢を終わらせることなんてできない。
なので、
今自分がいる瞬間瞬間を真に赦してゆくことで、
着実に悟り、最後は神へと戻ってゆくことができる。