
👆 3月で卒業する教え子たち
聖霊兄貴に信を置く、というのは、
目の前に見えている兄弟たちに信を置くことであり、
聖霊兄貴に委ねる、いうのは、
今、起きてくる事象に100%委ねていることだ、
という事実が、日常生活になりつつある僕である。

👆 卒業後は就職したり進学したり、とさまざま
道ですれ違う見知らぬ人、電車で前に座っている人、
カフェで注文を取りに来てくれた店員さん、
仕事の同僚の顔、通り過ぎる車、落ちている紙コップ、
目の前に次々に顕れる人や物に、
兄貴が〝置かれている〟のを観て任せている。
これまでは、兄貴を通して幻想を見る、
自分の心の中にいる兄貴と一緒に、
外の世界を見て赦してゆく、という感じだったのが、
次々に顕れる他者のように見える兄弟たちの上に、
兄貴が置かれていて、それに100%従っている。
なんていうか、見えているもの、聞こえているもの
自体が兄貴そのものになっている。
それでもまだ、眼前の兄弟達が分離した肉体に見え、
なんじゃおりゃあーっ、となることもしばしばだが、
そんな時も、ハッと気づいて兄貴を思い出す。
もはや、僕にとって、兄弟たちが聖霊兄貴であり、
神の使者となってしまっている。
彼らに全幅の信頼を置いて故郷へと進んでいく。