
先日、スワットしおちゃんからお誘いを受け、
彼女が出演するクラシックのコンサートへ行ってきた。
しおちゃんは、幼い頃からヴァイオリンを習っていて、
クラシックの本場であるオーストリアにいた頃は、
そこでの演奏会にも参加するほどの腕前で、
僕はもう、ふたつ返事で「行きます」と伝えた。

僕がどうしてしおちゃんを〝スワット〟と呼ぶかというと
彼女は赦しに於いて、絶対にブレないからだ。
彼女は闇落ちすると体に顕れるタイプなのだが、
どんなに闇まみれで体がしんどくても、
ゲロを吐きながらでも、熱を出しながらでも、
歩伏前進で光へ向かって突き進む意志を持っている。

普通、
空しさ、焦燥感、やるせなさ、憂鬱、孤独感…、
などを感じて、深い闇にいたたまれなくと、
大抵の兄弟たちは、
慌てて外側の世界へと逃げ出してゆく。
自分を癒してくれる歌手の歌を聴いたり、
ドライブに出かけたり、仕事で気を紛らわせたり、と、
体を動かして、反射的に外側で何かをしようとする。
外にある〝自分好みの神〟に意識を向けることで、
内側の〝闇(神)〟を一瞬だけ見ないようにするのだ。

しかし彼女は、闇が出て来てもじっとして動かない。
外に向かって走り出して行ったりせず、
出てきている孤独感や憂鬱感こそが、
実は神の想いだった、というところまで、
じっと出るに任せて赦している。
しかしそれは、
自分に向き合うとか、闇を直視するとか、
兄貴に闇を運ぶ、というのとは少し違っている。
それだとまだ、向き合ったり、直視している
〝私〟がどこかにいることになる。
そうではなくて、動かず、喚かず、ただじっとしている。
天井を向いたまま、何の解釈もなく、そのままでいる。
これって、かなりきついけれど、いちばん速い。
実は、
僕と、乙女ののりちゃんと、スワットしおちゃんは
奇跡講座でほぼ同期兄弟なのだが、
闇を浮上させて赦すということに関してはもう、
この二人は、どんな妥協もなく実践している。
2013年、東京駅付近(だったっけ?)のカフェで、
目をギラギラさせた僕ら三人が、食い気味に、
ハレ師匠に質問攻めしていた頃が懐かしい。
僕は、クラシックはまるでトンチンカンなのだが、
窓から差し込む春の陽光、暖かい室内、
鳴り響くクラシックの音色、穏やかな波動、
そんな中で、表現者としての彼女を目の当たりにして、
何かを表現するってすごいなあ、としみじみ感じた。
直純さんとも久々に会えて、帰りにお茶をしながら、
たくさんコースの話もできて楽しかった。
しおちゃん、ありがとう。また、会おな。