香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

私は光そのもの、からの、私なんていなかった

 

 

自分は初めから神を智っていたんだ、

 

自分はずっと神の中にいたんだ、

 

という理解が起こると、理由のない歓びがこみ上げ、

 

もう何の心配もいらないんだ、大丈夫だったんだ、

 

そもそも心配している自分なんていなかったんだ、

 

ということがハッキリした中を生き始めることになる。

 

この瞬間瞬間に湧き起こる葛藤を赦しながら、

 

その思いを兄貴に返し続けていると、最後には、

 

解釈しようとする思考が完全に落ち切り、

 

自分さえもいなかったことがハッキリする瞬間が来る。

 

その時、役目を終えた兄貴も喜んで消えてゆく。

 

そういう意味で今僕は、自分などいなかった事実を

 

完全に受け容れる覚悟を整えつつあるのだなと思う。

 

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また、自分などいなかった事実を認めるということは、

 

同時に、神を受け入れ、認めることでもある。

 

ビルの壁、空、部屋の風景、着ている服の模様、

 

といった、目に触れて見えてくるもの、

 

街の喧騒、友人が語り掛けてくる声、好きな歌、

 

といった、耳に触れて聞こえてくる音、

 

また、食べ物が舌に触れて感じられる味、

 

山椒の香りや、お気に入りの香水、金木犀の香り、

 

肌に触れる風や、誰かを抱きしめた時のぬくもり、

 

または、それら5感に触れて湧き上がる感覚や感情、

 

今この瞬間に触れて感じている、その全てが、

 

神であり、歓びであったと智覚できたとき、

 

「ああ、もう何があっても大丈夫なんだ!」

 

「そもそも大丈夫である自分さえいなかったんだ!」

 

「神の喜びだけだったんだ!」 

 

と〝真に〟悟ることになる。