
👆阿倍野で20歳年下の友人と食事
もちろん、僕のおごり
こういうことには散財を惜しまない
このブログの読者の方々はもうお分かりだろうが、
僕の金銭感覚って、ちょっと変わっている、と思う。
友人とのランチやディナー、仕事用のバッグや靴、
居住空間を彩る物には惜しみなくお金を使うのに、
スーパーでは、半額の惣菜を漁ったり、
もったいない、と電気代やガス代をケチったりする。
また、僕はかなりのステマ(捨て魔)で、
書籍であれ、衣服であれ、いま必要でないもの、
もうお役目を終えたもの、はどんどん捨ててゆく。
これはいつか使うかも、とか、これは思い出の品だ、
と、物を溜め込むことを良しとしない。
現役である物だけを置きたいと思ってしまうのだ。
なので、
服も、食器も、日用品も、最低限のものしか置かない。
スーツだって3着もあれば十分だし、食器だって、
お皿、グラス、器、カップがふたつづあれば十分だ。

シーツや普段着や洗剤などの消耗品は、
いちばん安いものでよいと思う反面、
2千円の歯磨き粉や3千円のシャンプー、といった、
自身の身を整える品々にはお金をかけたりする。
これってどういうことなのか、と考えてみたとき、
今この瞬間に必要なものだけにお金を使いたい、
ということなのではないか、と思った。
あのとき、過去の自分が華々しく存在した証として、
この思い出の品を取っておくとか、
未来に必要だからこれを残しておく、というのではなく、
今この瞬間の自分を最も大切に扱う為にお金を使う。

好きなものだけに散財するのは単なる浪費家だし、
ケチケチ生活をするのは単なる倹約家に過ぎない。
インターコンチでアフタヌーンティーをする反面、
半額の惣菜をおばちゃんとバトルしながらゲットする。
そういう極端な感覚があるからこそ、僕はかろうじて、
財政破綻せずに済んでいるのではないか、と思う。
何を言いたかったのかと言うと、
欲しいものは借金してでも買っちゃう、とか、
欲しいものも我慢して将来のために貯金する、とか、
それって、今この瞬間要りますか、ということだ。
今ここにいる自分を最も大切に扱うべきなんだ。
他人の前では、きれいに身だしなみを整えながら、
自分は散らかり放題の家で暮らしている。
家族(子供や孫)には、最高のものを与えながら、
自分は欠けた食器でお茶漬けを啜っている。
それって、同じ下着を1か月穿き続けながら、
服や化粧だけをきれいにするようなものだ。
そんなの、赦し以前の問題だ。
最もお金をかけるべきは他でもない自分なのだ。
そう言う意味で金銭感覚は、自己の罪悪感を見る上で
大切なポイントになるのではないか、と思ったりする。