
街の自転車屋さんにはたいがい、
無料で自由に使える電動空気入れがあり、
この日、僕も、家の近所の自転車屋さんで、
自転車のタイヤに空気を入れていたのだ。
空気入れのヘッドを、タイヤのバルブに挿しこみ、
ぎゅっと力を入れて押し込むと、空気が入ってゆく。
そのとき、1人の80歳くらいのおじいちゃんが、
自転車を押しながらこちらにやってきた。
ちっちゃくて可愛らしい感じのおじいさんで、
空気を入れたいのかなあ、と思っていると、
彼は、僕の隣にしゃがみ込み、ニコニコしながら、
興味津々な感じで僕の作業をじっと見つめ始めた。

「これって、押すだけで空気が入るのん?」
「ええ、ぎゅっと押したら、勝手に入って行きますよ」
「へえ。入れ過ぎたら爆発せえへんか?」
「いえいえ。勝手に入らなくなるんで大丈夫ですよ」
「これやったら年寄りでもできるな」
「空気入れるんなら、お手伝いしましょうか?」
「今日はええわ。まだ空気あるし。ありがとう」
「少しだけでも入れといた方がええんちゃいます?」
僕がお爺さんの自転車のタイヤを押すと、
まあまあ空気は入っていたけれど、ちょっと足りない。
で、僕はおじいさんのタイヤに空気を入れてあげた。
「うわあ。お兄さんは優しい人やね。ありがとう」
耳が遠いのか、すごく大きな声で礼を言われた。

おじいさんと別れた後、すっごく心が温かくなった。
と同時に、道行く人と少し言葉を交わすだけでも、
すっごく幸せな気持ちになれることがわかった。
逆に言えば、相手が見ず知らずの人だからこそ、
こんなにも優しい気持ちになれたのだ、と思った。
これが知っている人とかだったら、
やってあげるのが当たり前、となり、
絶対こんな気持ちにはならなかっただろう。
家に帰ってからも、あのおじいさん、
今度自分で空気を入れる時、ちゃんとできるかなあ、
ヘッドとバルブをちゃんと合わせて押さないと、
空気が入らないんだよなあ、
ああ、言ってあげればよかった、と色々考えた。
若かったときは、自分だけの気の合う友達、
ずっと続くようなパートナーシップを求めていた。
見ず知らずの、その場限りの触れ合いなんかに、
一体何のメリットがあるんだ、と考えていた。
しかし、
こういう、一瞬だけの人たちとのやり取りの中に、
永遠の輝きがあるのだ、と気づけるようになった。
知らない人とは関わらない、という風潮の中で、
これからはもっと、店員さんとのやり取りや、
ジムで一緒になった人との会話、または、
エレベーターでほんの束の間一緒になった人、
というような、一瞬だけの触れ合いに心を開き、
そこで感じるハートを大事にしていこう、
と思えた、そんな出来事だった。