
👆ズッキーニの生姜焼き。コチュジャンを添えて。
晩酌のあてに、と作ってはみたが…半分、ナマ
今日から連続シリーズで、
バブル全盛期に出会った恩人の話をしようと思う。
とういうのも、先週ずっと、その恩人を探すために、
法務局や府立図書館を駆けずり回っていたのだ。
時はバブル真っ只中の1989年、
そのころの僕は、新卒で就職した食品加工会社で、
総務と経理の仕事をしながら、
必死で中国へ留学するためのお金を貯めていた。
そんなとき、仕事帰りによく通っていた飲み屋で、
後に僕の恩人となる高森氏と出会った。
高森氏もその店の常連客で、毎回話をするうち、
いろいろな相談にも乗ってくださるようになった。
当時の高森氏は、僕より一回り年上の37歳で、
結婚を機に、
それまで勤めていた大手化粧品会社を退職し、
自社ビルを管理する会社で専務をされていた。
(彼の奥さんの父親が社長を務める親族会社)
お抱え運転手が店の前で待っているような、
それはもう絵にかいたような〝偉いさん〟だった。
(といっても、まだ37歳なので見た目は若く、
僕たちも、同年代の先輩、くらいの感じだった)

👆 自称〝シチュー〟
煮ているうちに汁がなくなっちゃった!
高森氏は僕のことをなぜかとても可愛がってくれ、
いろいろな場所へ連れて行ってくれた。
いい小説が書けるようにと、
奈良ホテル近くの山の上カフェに下宿させて
もらえるようになったのも彼がきっかけである。
北京へ留学の下見に行くと言えば、
コネを使って格安の航空券を手配してくれたり、
留学の直前には、お祝いだと言って、
大きなスーツケースをプレゼントしていただいた。
また、留学してからも、毎月のように、
日本の食料品や日用品などを送ってくださった。
(当時の中国にはスーパーマーケットがなかった)
しかし、ようやく留学費用が貯まり、
留学できると思っていた矢先、天安門事件が起こり、
それに伴って、翌年の学費が値上がりしてしまった。
治安の問題もあり、
留学を延期するしかないと考えていた時、
高森氏が「これで自分の夢を叶えなさい」と言って、
封筒に入った100万円を差し出された。
いやいや、これはさすがに、と固辞はしたが、
「このお金を返すことを励みに頑張りなさい」
と言われ、若かった僕の甘えも加わり、
利子をつけて返すと約束して受け取ることにした。
(今では信じられないことだが、バブル全盛期、
都会の夜の街には本当にこんな人がいたのだ…)
留学して2年後、2週間ほど日本へ帰国した際、
僕は高森氏に会い、留学生活の報告をした。
また、高森氏の現状も聞かされた。
当時、すでにバブル経済は崩壊していて、
彼が役員を務める会社も大変なことになっていた。
貸しビル業だったので、状況はとても深刻だった。
今なら、バブルが弾けたんだなあ、と解かるが、
当時の僕は、景気のよい中国にいたこともあり、
大変なんだなあ、くらいにしか思わなかった。
しかし、よくよく思い返せば、あの時の高森氏は、
どこか覇気がなく、とても疲れている様子だった。
その後、僕が北京から広州へ移ったころから、
高森氏ともだんだん疎遠になって行った。
たぶん、
高森氏も僕に構っているような場合ではなく、
僕もまた、自分のことでいっぱいいっぱいだった。
(つづく…)