香港さんといっしょ! 奇跡講座(ACIM)と純粋非二元

欲望都市香港で奇跡講座を実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

シコシコ書き書き


↑佛山ホテル前の広場。夜10時なのにちびっこが。

今日はお籠りの土曜日である。

ずっと、家で書き物をする。

『ジンジャー・タウン』の推敲をしたり、

新しい小説のプロットを考えたり…。

プロットを立てたからと言って、

その通りに物語が展開しないのは承知しているが、

登場人物のキャラを立てる作業はすごく楽しい。


自分は、書くことが好きなんだな、とつくづく思う。

このブログも、毎回10分くらいで書いてしまう。

ブログは小説と違い、文章にトーンがなくてもいいし、

同じ助詞を繰り返しても、体言止め使い放題でも、

文句を言う編集者もいないので、

いろいろと、ややこしいことを考えなくてすむのだ。


また、僕の場合、ブログを書くことで

手放せたり、兄貴に渡せたり、というところがある。

ちょっときついびゅんびゅんがあった日でも、

これは起きてないし、罪もない、消えてゆく姿だ、

と、きちっと文章で宣言することによって、

エゴの自分に〝納得〟が起こり、天に昇華され、

最後には、本当に消えていったりする。

実際、過去の記事で書いた、様々な思いに対しても、

こうして、兄弟たちに文章でシェアすることで、

無意識レベルの削除が起こっていっている。


そういう意味で、僕は書くという作業によって、

また、兄弟たちに正直に語ることによって、

自分や世界を赦しているのかもしれない。


よく、スピのワークショップや勉強会などで、

人に起きている体験や日常の話は聞きたいけれど、

自分の体験を話すのはいやだ、と言う人は多い。

また、自分の体験ばかり話すと、

なんか損しているような気持ちになる人もいる。

他の人は聞いているだけで情報をもらい、得している、

みたいに言う人もいる。


全然、違う。

全く、逆だ。

得をしているのは、断然、

皆の前で身の内を明かしている人の方なのだ。

兄弟を信頼して話せば話すほど、

それは自分への宣言となり、迅速に兄貴へ渡る。

なぜなら、話を聞いてくれている兄弟は自分自身、

ひいては、姿を変えた聖霊兄貴そのものだからだ。

近頃はいたって平安である。

平安というのは、嫌な出来事が起きなくて平安、

ということではなく、依然、次から次へと、

いろいろな物語は生起してくるのだが、

それにかかわらず平安、という感じである。

水面に突起物のようなものが一瞬ぷくっと立ち、

ジタバタせずに放っておくと、やがては消えてゆき、

また平たい水面に戻る、みたいな…。


仕事でも同じだ。

以前は、仕事だけは別だ、と思っていた。

ジタバタせず放っておいたら、えらいことになる、

と考えていたが、やってみると案外なるようになる。


もう、どこで、何をしていても、何が起きていても、

あんまり関係ないのかもね。