香港さんといっしょ! 奇跡講座(ACIM)と純粋非二元

欲望都市香港で奇跡講座を実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

自我の逆襲

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自分の言動や思考を捉え、ただ見つめていると、

 

全てが自我の力動で動かされていることに気づく。

 

神経由のものなど、ほんと、何ひとつない。

 

これら、心の中の自我を捉えては、ただ直視してゆく。

 

自己を一歩退かせ、聖霊にスペースをゆずる。

 

 

会計事務所から来た見積もりを見て、高い、と思う。

 

〝高い〟と思った時に感じる〝これ〟を注視する。

 

次に、会計事務所に電話をし、値引き交渉をする。

 

夢を実在化させている自我の〝これ〟をじっと観る。

 

それだけ…。

 

何もしないことで聖霊に場所を空けるのだ。

 

 

が、そんな感じで心の中を見つめていると、

 

だんだん精神的に辛くなってきて、

 

ヤバい、と思った時にはすでに後の祭りだった。

 

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外側ではこれと言って何も起きていないにもかかわらず、

 

胸を締め付けられるような不安感や恐怖に襲撃される。

 

もう、コーヒーを飲んでるだけで、胸がバクバクしてくる。

 

ほんとうに、会社を休もうか、と考えたくらいだ。

 

自我の向かい風(逆風)が吹き始めたのだな、と思った。

 

 

不快感がピークの時には、

 

奇跡講座をやってなければ、こんな事にはならなかった、

 

奇跡講座も何もしてない人の方が平安ではないか、

 

奇跡講座なんかやめてしまおう、と考えるほどだった。

 

自我を直視しているだけで、毒素が増幅してゆくのだ。

 

ワプニックという名前を聞いただけで吐き気を催す。(笑)

 

くうぅーっ! き、きつい、発狂しそう…。

 

 

何故このような事態に陥っているのかさえ不明である。

 

これはひょっとして、

 

真の赦しを始めた自分に対し、もう友達のふりはしない、

 

と、自我が本気の抵抗を始めたのかもしれないし、

 

または、正しい軌道にいることの証明なのかもしれない。

 

 

でも、うう…、

 

外側に原因を見いだせない葛藤を前に

 

「なんじゃ、こりゃー!」と、

 

松田優作演じるジーパン刑事のように叫んでしまいそうになる。

 

 

それでも、動かず、叫ばず、

 

聖霊と共にその毒素のような葛藤を直視し続ける。

 

それ以外は何もしない、ていうか、できない。

 

兄貴お願いします、や、知覚を修正してください、も無い。

 

ただ、出てきているのものを抑圧、隠蔽せず、

 

両手を挙げ、正直にJ兄貴へ丸ごとさらけ出すだけ…。

 

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大きな葛藤の塊をJ兄貴と一緒に眺めつづけると、

 

そこが、聖霊兄貴がいる場所、すなわち、

 

〝いまこの瞬間〟だということに気づいた。

 

次に有り難いような、愛おしいような、嬉しいような、

 

包み込まれるようなハートのバイブレーションが、

 

心臓の中心から紡ぎだされてくるのを感じた。

 

それを境に、少しずつ〝発作〟はなりを潜め、

 

心に冷静さが戻ってきた。

 

↓  昔も同じような体験が…。でもいま思えば、

 こんなの逆襲の内にも入らないカワイイものだった。

blog.hoshitani-shusaku.com

 

というわけで、今週は、外界より内面がきつかった。

 

でも、理由のない苦しみって、本当に辛い。

 

だって、自分で解決のしようがないんだもん。

 

 

幸い、明日からイースター(復活祭)の連休が始まるので

 

家でゆっくり、静かに休養を取ろうと思っている。

 

 

J兄貴、

 

復活してくれて、ほんとに感謝だよ。

 

 

つづく…。

 

奇跡の原理

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東京にいる間、なんかおかしいなあ、とは思っていた。

 

決断の主体から幻想を眺めていても、しばらくすると、

 

いつの間にか、世界側へと戻されて行ってしまう。

 

赦しもどこかズレていて、うわ滑った感じがする。

 

いつもの聖霊兄貴と共に在る感覚も薄い。

 

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そんな違和感を引きずるように、

 

羽田空港から、香港へ戻るキャセイ便に乗り込んだ。

 

滑走路が混みあい、飛行機がなかなか離陸しないので、

 

機内で読もうと持ってきた『奇跡の原理』を開いた。

 

最初『神の使者』を持ってこようと思ったのだが、なぜか、

 

『奇跡の原理』が気になり、こちらをカバンに入れた。

 

 

この本を読むのは今回で4度目くらいか…。

 

そして、原理5 のくだりを読んでいるときだった。

 

 

〝私たちが、何をすべきで、何をすべきでないか、を、

 

    選択できるのは、私たち自身ではありません。〟

 

 

〝私たちが気にかけるべき唯一のことは、

 

    自分の自我を聖霊のもとへ運ぶことのみであり、

 

    赦しの延長は、私たちの責任ではありません。

 

    私たちは自分で延長させようとしてしまうのです。

 

    そこが、私たちがしくじりやすいところです。〟

 

 

まだ他にもあるが、これらの文章を読んでいたとき、

 

目の前に、チカチカと光が走り、ガガーン、っと来た。

 

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〝個の自分〟が決断の主体へ戻ろうとしていた。

 

わ・た・し・が決断の主体に留まろうとしていた。

 

 

ここ最近の心地悪さ、というか〝行ったり来たり感〟は、

 

肉体の自分も、この幻想の世界の一部であり、

 

夢を見る者ではなく、見られる夢の一部だった、

 

ということを忘れたことから来ていた。

 

なので、

 

幻想の自分がすることは、ただ直視するだけである。

 

 

例えば、元コンババ部長の言動にイラッときたとき、

 

テレビで紀平選手がトリプルアクセルに失敗したとき、

 

香港から離れるのが寂しいなあ、と思うとき、

 

はたまた、結果を出して、ああ幸せ、と感じるとき、

 

ふっ、と立ち上る〝個の想い〟に反応せず、

 

聖霊と共に、両手を挙げて、ただ直視してゆく。

 

何かを〝行なおう〟とするのではない。

 

世界を実在させてきたものを見つめるだけである。

 

 

反応しないとは、世界に反応しないということではなく、

 

反応する自分をどうにかしようとしない、ということだ。

 

ただ、湧き上がる毒素を、聖霊と共に観る。

 

聖霊兄貴お願いします、も、後はよろしく、もない。

 

もう、一切、自分を動かさない。

 

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そんな感じで、はっと衝撃から立ち直り、機内を見渡す。

 

笑顔で機内サービスしているCAさん、

 

真剣な表情でパソコンに向かうビジネスマン、

 

退屈そうな表情で映画を見ている女性、

 

僕のシートへ肘を寄せてくる隣の香港人のオッサン、

 

この世界丸ごと全部、自分が見ている自我だ、と思った。

 

もちろん、そこには個の肉体の自分も含まれる。

 

なぜなら、肉体の自分が感じることで、

 

この幻想の世界を実存させているからだ。

 

 

原理5をもう一度読んだあと、しばし目を閉じ、

 

心地よい良いものも、そうでないものも、

 

両手を挙げた状態で兄貴と共に観止め、何もしない。

 

ともすれば出しゃばろうとする個の自分をも捉え、

 

聖霊を信頼して任せる。

 

 

自分が消え、幻影の世界が消えてゆく…。

 

これって、自己を消し、世界を消してゆく作業なのだ。

 

 

この自分が消えた感覚から世界を観ている感じ…。

 

あれ?ここって、決断の主体ではないか?

 

ああ、そういうことか。

 

そこは自分で辿り着く場所ではなかったのだ。

 

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いつもは四時間ほどで香港に着くのだが、

 

この日は強い偏西風の逆風に煽られ、五時間経っても、

 

飛行機はまだ台湾の辺りを飛んでいる。

 

 

奇跡の原理も読み終え、

 

それでもまだ香港に着かないので、 

 

『ムーンライト』という、とても切ない映画を観た。

 

CAがワインもう一杯いかがですか、と訊いてきた。

 

お願いします、と答えたとき、

 

僕の心の中にも逆風(向かい風)が吹き始めた。

 

 

つづく…。

 

 

青いマルの中

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〝青いマルの中〟(決断の主体)にいると、

 

聖霊兄貴にすぐ近くにいるのが感じられる。

 

ハートの布団にくるまって静かにたゆたっている感じ…。

 

まだ、ずっとここに留まれていられる訳ではないけれど、

 

実存を知っているが故に、実存でないものを一笑に付し

 

赦すことができる場所でもある。

 

 

ただ、人や物事を裁いたり判断したりする想いは、

 

まだまだ、僕の中に上がってくる。

 

しかし、それが幻想だと完全に認識して、

 

人を裁きたくなる心の中の原因まで戻って赦してゆく。

 

その罪悪感を、共にいる聖霊に取り消してもらう。

 

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↑ 夜、同僚と九州居酒屋で飲む。 

 

ただ、今日、気づいたことは、

 

赦しを手段として〝個の肉体としての自分〟が、

 

決断の主体に戻ろうとしている

 

ということがありありと見えたことだ。

 

 

どういう事かというと、

 

これまで僕は原因に戻るというのは、無意識に、

 

自己概念Bが決断の主体に戻ることだと思っていた。

 

そうなると、個の〝わ・た・し・が〟、

 

決断の主体に戻るための赦しをするようになる。

 

それは自我だ、と気づかされたのだ。

 

 

肉体としての自分が決断の主体に戻るのではなく、

 

決断の主体はずっとそこに在り、それを思い出す為に、

 

肉体の自分は、ただ赦すのみなのだった。

 

 

かなり高度なことを言っているのかもしれないが、

 

今の僕にとって、これはかなり衝撃的な気づきであった。

 

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↑ 八丁堀にはオシャレな小料理屋が軒を並べている

 

というわけで、昨日は一日、東京支社で会議で、

 

今日は不動産屋さんを訪ね、

 

東京の賃貸について、いろいろ話を聞いてきた。

 

担当して下さった男性の方は、東京初心者の僕に、

 

とても親切に、二時間くらいかけて色々教えて下さった。

 

住む場所も、勤務先からの地の利や環境も考慮して、

 

最大限広くて快適な部屋を提案してもらった。

 

家賃10万円で、かなりより物件があることも分かった。

 

なんせ、家賃50万円が普通の香港にいると、

 

東京の家賃が、とても安く思えてくる。

 

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↑ 今回はアパに泊まった。 

 

そうして、東京移住の覚悟を決めていたら、

 

今日の社長との面談の中で、

 

来期の香港支社の予算がきつくなければ、

 

香港にいた方が仕事がやりやすいのではないか、

 

と、なんだか香港残留っぽい話になってきた。

 

そのとき、ほっ、としている自分がいた。

 

 

天国への期間が保留になった、と喜んでいる自分。

 

ただ、それを認め、赦す。

 

 

〝青いマルの中〟から、

 

帰任保留で歓んでいる個の自分を見つめる。

 

決して、

 

個の自分を、青いマルの中に戻そうとしない。

 

そうすることで、個の自分を幻想の一部とする。

 

 

 そんな感じで、

 

大きな学びのあった東京出張であった。