香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

感じてナンボ

 

 

まだ香港にいた今年一月、

 

ある悟り系導師が主催するセッションに参加したのだ。

 

というのも、以前の記事でも書いているように、

 

例えば自分が奇跡講座を信じているからと言って、

 

その位置から、他の何かを云々するのが嫌なのだ。

 

だから、安易にこれは違う、と判断したりせずに、

 

興味を持ったら先ずやってみる、をモットーにしている。

 

それで以前から、どうなんだろうと気になっていた

 

このセッションに申し込んだのだった。

 

 

ほぼ月一で、二日間行われるZOOMセッションには、

 

30人ほどの人が参加されていた。

 

言葉ではなかなか表現できない人智を越えた内容を、

 

とても分かりやすくお話されていて、出し惜しみせず、

 

どんな参加者にも優しく且つ真剣に寄り添う姿勢に、

 

深い愛と温かさを感じた。

 

それに、そのマスターは、頭で学んだ知識ではなく、

 

本当に体験からくる真実を語っていると感じた。

 

それでセッションの後、ちょうど春節休暇に入ったので

 

外界の全てを遮断し、静かに座ってみることにした。

 

ほぼ一週間、一歩も外出せず、睡眠と食事と入浴以外

 

の時間はずっと座っていた。

 

結果、完全に自我が落ち切るという体験が起こり、

 

その時の体験を細かくそのマスターに伝えると、

 

解放(悟り)が起きましたね、と言われた。

 

そして、これからはあなた自身が法なのだから、

 

今後数年間は、SNSなどで発信をしたり、

 

余計な表現をしたりせず、ただ静かにこのまま、

 

真実の通りに暮らして下さいね、と言われた。

 

表現できないものを無理に伝えようとすると、

 

真実からズレて行ってしまうから、ということだった。

 

 

その直後、同じような理由で、ある仏教の禅会に、

 

ZOOMで参加し、その時の体験を伝えたところ、

 

すでに悟っているとされる禅僧から、

 

あなたはちゃんと真実の方向そのものでおられるので、

 

暫くは、静かにそのままで生活してください、と、

 

セッションを受けたマスターと同じことを言われたのだ。

 

 

しかし、何も表現せず、ただ静かに暮らすことなど、

 

〝物書き〟である僕には絶対に無理だ、と思った。

 

真実からズレようが、パンツがズレようが、

 

表現を制限するくらいなら、悟りも解放も要らない、

 

と思えたのだ。

 

 

それで僕は即行で〝悟り〟を捨て、

 

ズレまくったことばかりを表現して今日に至るのだが、

 

それでも、瞬間落ち切ってから、ハッ、と戻って来た

 

あの瞬間の僕は紛れもなく真実そのものだったし、

 

絶対に知ることができないそれそのものは、

 

言葉で表現できるようなものでないのも事実である。

 

奇跡講座とは全く違うけれども、

 

それは明らかに事実であり間違ってはいなかった。

 

そのことを僕は〝体験〟を通して理解したのである。

 

 

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感じること(体験)が全てである。

 

あらゆるやり方、教義、スピコミの活動、リトリート、

 

マスターと呼ばれる人、聖霊、テキスト、ワークブック、

 

全ては、神を感じるという真の理解のためにあり、

 

そっちがメインではない。

 

あらゆるスピの活動は体験(感じること)に従属する。

 

 

 

 

 

先手必勝!

 

 

 

なんだか気ぜわしい師走の午後…。

 

路上の花からも〝大好きぃーっ!〟を感じる僕である。

 

ただ、誤解を避けるために言うならば、

 

この悦びは、外界の出来事や身体的エクスタシーとは

 

何の関係もなく、全くの別物である、ということだ。

 

 

誰かから何かを言われてムカついたとしても、

 

こいつマジウザい、やっぱりキモい、と感じていても、

 

明日会社行きたくないなあ、と思っていたとしても、

 

そのムカつき、そのウザい感じ、そのイヤーな想い、

 

それそのもので愛であり、大好きぃーっ、なので、

 

兄弟をまだこんなふうに思っている自分は…、

 

というふうにはならないのである。

 

また、聖霊を通して観る、とか、ハートを感じる、

 

というような〝考え〟からくるやり方でもなく、

 

もうそのまま、抵抗無しで、チョクに〝大好き〟がある。

 

上手く言えないのだけれど、花を見た自分が、

 

それを〝大好きぃーっ!〟と感じているのではなく、

 

花が僕に見られて歓んでいる感じ。(⇐ここ重要!)

 

 

 

 

昨日、セブンのイートインでコーヒーを飲んだあと、

 

店を出てからイヤーウォーマーを忘れたことに気づき

 

取りに戻ったがすでに誰かに持っていかれた後だった。

 

「うわっ、くそー、高かったのにーっ、きいぃーっ!」

 

という思い自体がすでに〝悦びで大好き〟であり、

 

この出来事自体が〝愛してるーっ〟になっている。

 

ここまできたらもうヘンタイである。

 

きっと、僕には計り知れない人智を越えた部分では、

 

イヤーウォーマーがなくなって正解だったのだ。

 

 

 

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ただ注意したい点は、

 

 

「イヤーウォーマーを身に着けて自転車を運転して

 

 いたら、車のクラクションが聞こえず、

 

 もしかしたら事故に遭っていたかもしれない。

 

 だから、なくなったのは完璧だったんだ。

 

 兄貴、ありがとう!大好きぃーっ!」

 

 

では、決して断じて絶対に〝ない〟。

 

考えで納得してから感じるのではない。

 

これがあるから大好き、ではないのだ。

 

 

先に愛を感じることで理解が起こる。

 

いつでも感じること(神)が先手である。

 

 

ピタッ、とハマる

👆 ライトアップされた銀杏並木。僕の世界では

  〝大好き〟が輝いているようにしか見えない。

    しかし、今この瞬間にいない人から見れば、

         この輝きはLEDの点滅にしか見えないのかも

 

 

12月に入り、街もなんだか華やいできた。

 

それぞれの通りのイルミネーションがとても美しく、

 

電動自転車で通う学校までの20分がすごく楽しい。

 

今日も、土佐堀川に掛かる月を眺めながら

 

電動自転車をこいでいると、

 

突然言いようのない愛の気持ちが湧き上がって来た。

 

向こうから歩いてくるサラリーマンの男性、

 

後ろと前に子供を載せて自転車をこぐお母さん、

 

信号の点滅、冷たい空気、銀杏並木、高層ビル群、

 

ひとつひとつがうれしさの粒子で震えているような、

 

誰かれ構わず感謝したくなるような、

 

全ての人、物、風景が、愛でできているような感覚…。

 

よくミュージカルなどで、

 

街中の人が突然踊り出すシーンなどが出てくるが、

 

今にもそうなりそうに思えてくるのだ。

 

 

僕の場合、

 

表層の自分が不安や恐怖を感じているような時でも、

 

見えない領域では、絶えずこの感覚が流れていて、

 

兄貴はもちろんのこと、眼前に顕われてくる全ての

 

兄弟に護られている、という安心感が常にある。

 

こうして、内側の愛が外側へ反映され始めると、

 

不思議なことに、何を見ても、誰に会っても、

 

また、何があってもなくても、

 

世界が〝愛してるー、大好きっ〟で満たされ、

 

あらゆることが、愛の表現にしか見えなくなる。

 

すると不思議なことに、何かこうしたいなあと思った時、

 

ぞわぞわシュシュシュシュ、と粒子が動き出し、

 

全てのタイミングがピタッ、ピタッ、と整い始め、

 

あるとき、パッ、と目の前に必要なものが出現する、

 

という現象が起こったりする。

 

 

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昨日の夜のことだ。

 

雇用保険の支給も来月で終了するし、

 

もうそろそろ何か仕事をしてもいいかなあ、と、

 

そんなに真剣でもなく思っていると、

 

何かの中国語の単語の意味をネットで調べていた時、

 

なぜか突然、

 

中国語を活かす仕事の派遣サイトが現われ、

 

見て見ると、家でできる翻訳の仕事とか、

 

空港でのカウンター業務とか、通訳の仕事とか、

 

海外折衝の仕事とか、求人がたくさん掲載されていた。

 

しかし、兄貴からは、

 

「君を安心させるためにこのサイトを見せたけれど、

 

 今はまだ、一人静かに自分を整えることが優先で、

 

 まだ仕事をしたりする時期ではない」

 

と言われた。

 

 

僕達はついつい、

 

外の景色や出来事の中に神や愛を探そうとするが、

 

それらは自分側(自己の内側/背後側)にある。

 

内側が外側に反映されるので、

 

現実のスクリーンに映し出されているのは、

 

すでに結果であり、もうイジりようがない。

 

なので、今の僕は、愛からブレないよう、

 

顕われ出た結果を結果として、

 

ただそれに任せきって過ごす毎日を送っている。

 

そうすることで、

 

考えもしなかった役目が自然に起こってくる。

 

このようにして、

 

やや前のめりぎみな僕を兄貴は優しく諭すのだった。