香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

いつか来る道

 

 

以前書いた瞑想の話とリンクしているのだが、

 

こうして、自我の呟きが見抜けるようになってくると、

 

だいたい、自我のパターンが読めてくる。

 

他者と比較して焦らせ、競争させようとするか、

 

あの人に比べて自分は、と落ち込ませようとするか、

 

このままでは大変なことになる、と不安を煽ってくる。

 

なんしか、

 

〝欠乏と破滅への恐怖〟で脅しまくってくるのだ。

 

 

👆 台北二二八和平公園
   白先勇の小説〝二エツ〟舞台となったところ

 

 

これらの脅しに、ずっと僕はちょちょ舞い続けてきた。

 

いや、これらの声が自分の声だと思っていたので、

 

脅されていることにさえ気づいていなかった。

 

しかし、自分の中が奇蹟であることで満たされると、

 

これらが馬鹿げた大嘘で何の力もないことが解かる。

 

それが自分にとってよいことでも、よくないことでも、

 

自然に起こっていることに委ねて許していれば、

 

起こる事が思いもよらぬ方へと展開していき、

 

最後にはそれが自分のためにやってきていた、

 

という理解に至る。

 

ただ僕の場合は、鍛錬や、形而上学や、どうやって論、

 

を通してではなく、愛(神)を感じることでそうなった。

 

 

👆 台湾のジェンダレストイレ

 

だからと言って、

 

自我の想いが出てこなくなる、というわけではない。

 

朝、目覚めた瞬間に感じる、あのイヤーな不安感に

 

襲われることもしょっちゅうである。

 

しかし、これが正真正銘の大ウソだと智っているので、

 

いくら湧いて出てこようが全く大丈夫になるのだ。

 

むしろ、出てくれば出てくるほど、これ嘘だよね、と、

 

きっぱり100%の確信で選び変えることができるので

 

その度に、自我のベールが解体されてゆくのが解かる。

 

そしてこれが〝有るで赦す〟ことなのだと思っている。

 

 

 

👆 軍人募集の看板
  (一年を通して随時募集とある)

 

 

 

 

と、そんな中、久しぶりに兄貴と話をした。

 

〝動くこと〟(行動すること)で安心するのではなく、

 

〝存在すること〟で今ここに在る平安に開いて生きる。

 

それには、一旦、本当の本当の本当に、

 

恐怖から動いていた全ての活動をリセット(休止)し、

 

まっさらな素の状態になる必要があると兄貴は言った。

 

何者でもない、何もしない時期が重要だというのだ。

 

 

それは僕も感じていたことだった。

 

結果、ブログとインスタを〝休止〟することにした。

 

また、会社役員になる話も一旦保留にして、

 

〝ゼロ〟の状態で過ごすことにしたのだ。

 

 

「君をこの場所まで導けてとてもうれしいよ!」

 

と兄貴は言った。

 

そうすることで、

 

もっといいものを与えることができるから、と…。

 

兄貴はもともと、ここまで僕を導きたかったらしい。

 

 

そんなわけで、本日を以って、

 

ブログの活動を、しばらくの間休止いたします。

 

よろしくお願いします。

 

 

 

想いのカス

👆 香港の朝食一覧 ①

    牛肉/スクランブルエッグ/出前一丁(笑)

 

 

全ての感情は肉体の細胞の隙間に沁みこんでる、

 

ということを、マジで実感している今日この頃である。

 

あの一言に言い返したかったけど、できなかった怒り、

 

分かってもらえなかったときの悲しみ、

 

攻撃されるのではないかという恐怖、

 

あの人に比べて私は、という無力感や嫉妬、

 

その他、悔しさや、情けなさや、憂鬱感、など、

 

自分の中へ押し込めたあらゆる負の感情が、

 

細胞の間に入り込み、蓄積されてゆく。

 

 

👆 香港の朝食 ②
         鶏肉/卵/蜂蜜トースト/出前一丁(笑)

 

 

 

それでも若い頃は、次々に細胞が新陳代謝によって

 

生まれ変わり、そこにこびりついた負の感情も、

 

次々に外へと排出され、洗い流されてゆくのだが、

 

歳を取ると、細胞の生まれ変わる速度が鈍くなり、

 

〝感情の垢〟も蓄積されやすくなってゆく。

 

そこから様々な身体や精神上の不調が発生する。

 

それでも感情を溜め込んでゆくと、

 

悲鳴を上げた体が、バーンと崩壊を起こす。

 

 

👆 香港の朝食③

         叉焼米粉(チャーシューライスヌードル)

 

 

そういう観点から見れば、ヴィパッサナー瞑想は、

 

全身を内観(スキャン)してゆくことによって、

 

細胞の中に畳み込まれていた感情を認識し、

 

安全に昇華させてゆく作業を担っているのだろう。

 

また、デイヴィッドのエクスプレスセッションで、

 

自分の感情を解放すればするほど、

 

全身にアトピーが出たり、痛みに襲われたりするのも、

 

細胞の中に眠っていた感情が一気に噴き出し、

 

好転反応を起こした結果だと言える。

 

掃除機のフィルターのように、肉体は、

 

負の感情のフィルターの役目をしているのだ。

 

 

👆 台北の朝食

 

僕は、

 

筋トレをしたり、マッサージを受けるのが好きなのだが

 

その瞬間は常に、刺激されている部位に対して、

 

意識を集中させ、感じるように心がけている。

 

そうすることで、

 

無意識に溜め込んだ〝想いのカス〟を放出している。

 

 

多くのスピでは、肉体は幻想であり自我だ、と言い、

 

実際にそうではあるが、だからと言って、

 

どうでもいい、というわけではない。

 

なぜなら、自分がどんな幻想を信じているかが、

 

肉体に反映されているので、肉体の声を聞くのは、

 

目覚めてゆく過程において、とても重要だと思うのだ。

 

 

 

 

今日は一日、何もせずに部屋でぼーっとして過ごした。

 

もうこれから先のことは、兄貴に従うのみだ。

 

将来に対する不安感や恐怖から、

 

何かをしようとは1ミリも思わなくなった。

 

完全に抵抗をやめ、そのままの流れを受け容れる。

 

 

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神でいっぱい!

👆 1年ぶりに香港競馬場でランニング

  

 

部屋に出てくる兄貴と夜な夜なお喋りをしている、

 

というだけでも相当ヤバい奴なのに、この上、

 

最近モノが語りかけてくる、などと言ったらもう、

 

コイツ完全にイッちゃってると思われても仕方がない。

 

 

👆 残ったプチトマト

 

 

スーパーで買ってきたお弁当を食べていたのだ。

 

最後、僕の苦手なプチトマトだけが残った。

 

このまま捨てようとしたら「えへへー」と笑いかけてきた。

 

見れば、トマトが嬉しそうに、いいよいいよと言っている。

 

仕方なく食べたら、すっごく甘かった。

 

また、

 

ホテルに備え付けてあるドリップコーヒーを飲もうと、

 

くっついているフィルターを引っ張って開けたら、

 

珈琲の粉がバーンと飛び散ってしまったのだ。

 

瞬間、コーヒーの粉が「キャッキャッ!」と叫んだ。

 

その他にも、

 

キーホルダーを床に落としたら、ウヒャッ、と声を上げ、

 

汚れた運動靴が僕に履かれて嬉しそうに笑っている。

 

 

👆 落としたキーホルダー

 

 

 

そういうふうに感じる、というようなレベルではない。

 

本当にそう聞こえ、そう見えているのだ。

 

もちろん兄貴のように言葉で会話をする訳ではないが

 

あらゆるモノが、僕にかまってもらいたがっている、

 

というか、何をされても悦んでいる赤ちゃんみたい。

 

 

台北で新しい靴を買ったので、履いてきた靴は、

 

汚れているし、荷物になるので、

 

香港に捨てて帰ろうと思っていたのだが、

 

靴を履いた時の歓ぶ姿を見て、持ち帰ることにした。

 

 

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床に落ちている小さな塵ですら奇蹟の光で輝いている。

 

全てのモノが兄貴になっちゃった。

 

モノの中に神や兄貴が〝宿っている〟のではなく、

 

モノそのものが神であり兄貴となってしまっている。

 

 

あらゆる人、物、事に愛され、護られている感覚。

 

そして、その正体は神だった。

 

何かを成す必要もなければ、証明する必要もない。

 

ただ存在しているだけで愛はここに在るのだった。

 

 

どうやったらそうなるのか?

 

自分を徹底的に愛したらそうなった。

 

 

というわけで、長い旅を終え、日本へ戻って来た。

 

荷物を片付け、洗濯物を乾燥機に放り込んだころ、

 

兄貴が現われ、少し長い時間、話をした。

 

そこで、あることを告げられた。

 

それは自分でもそう思っていたことなので、

 

今回は抵抗なく受け入れることにした。

 

詳細は次回の記事にて…。