香港さんといっしょ! 奇跡講座(ACIM)と純粋非二元

欲望都市香港で奇跡講座を実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

小指のわたし

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👆 毎週水曜は家の窓から競馬を眺める。

  馬券の買い方とか、全然分からない。

 

 

仕事中も、バスの中でも、食事中も、家にいるときでも、

 

〝いま、この瞬間の神に抵抗せず、ただ神の愛に在る〟

 

〝どんな些細なことでも、絶対に自分(神)を攻めない〟

 

〝毎瞬、認知機能障害を起こしている自分に気づく〟

 

ただこれだけを、徹底的にガンガン実践しまくっていたら

 

とうとう自分が〝全体〟になってしまった。

 

全体になった、というより、全体だったことに気づいた、

 

と表現するほうが正確かもしれない。

 

 

うーん、なんていうか、肉体に例えて説明するなら、

 

これまで自分は小指だと思って生きて来たのに、

 

ここへ来て、目も鼻も口も手足もある体全体だったことが

 

判明してしまった、みたいな…。

 

 

小指だけが自分だと思っていたころは、

 

親指を怖がってみたり、人差し指に嫉妬したり、

 

くすり指の攻撃に苦しんだり、いろいろ大変だったが、

 

はっと我に返り、自分が全体だったことが知覚されると、

 

指はただ指でしかないことが明白になるので、

 

恐れと言うものが無くなり、代わりに安堵と優しい愛が、

 

大手を振って戻ってくる。

 

 

ただし、スピでよく言われる、

 

自分は神の中にいたんだあ、とか、神と一体である、とか

 

みんなでひとつ、といった、合体するような感覚ではなく、

 

もとから自分は全体で、それしかなかった、と、

 

ただ、当然のように智っている感覚である。

 

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多分、これからも個としてのモヤモヤは起こるだろうし、

 

なんじゃこりゃあ、というような状況にも直面すると思う。

 

それでもやっぱり、全体である、の理解が起きているので

 

何が起こっても、そこには安堵とやすらぎと愛がある。

 

それに何より、

 

何が起こっても、誰に会っても、全く怖くなくなる。

 

 

この感覚を説明するのは本当に難しいのだが、

 

見え方が変わる、とか、そういうものではなく、まさに、

 

認知症の人が、朝起きたら正気に戻っていたという感じ。

 

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というわけで、

 

ジムの閉鎖が23日まで延長されることになった。

 

トレーナーがオンライントレーニングを提案してきた。

 

11日までは無料だというので申し込んだ。

 

家には器具がないため、どうなるかわからないが、

 

サーキットトレーニングを40分ほど行なうらしい。

 

明後日からイースターの休日で5連休なので、

 

家で腹筋とかのメニューを組んでもらうつもりである。

ご都合奇跡講座

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日本に緊急事態宣言が出された。

 

安倍総理は日に日にヨレヨレになっていくのに、

 

百合子都知事と昭恵夫人はますます元気だ。

 

やっぱり女性の方が〝緊急事態〟に強いのかな。

 

 

香港でもまだテレワークや隔日出勤は続いている。

 

とにかく、人と接触しないことが第一優先らしい。

 

会社へ行くな、家にいろ、と国から言ってもらえるなんて、

 

僕からすればもう、幸せすぎて震えがくるほどである。

 

正々堂々と、おおやけに、バッチリお籠りができる。

 

まあこれも僕が独身で、休んでも給料が出る身分だから

 

そんな悠長なことを言っていられるのかもしれない。

 

例えば、今回の政府による外出自粛要請によって、

 

旦那と子供が一日中家にいることになった専業主婦や、

 

平日も家族と過ごさねばならないお父さんなど、

 

〝24時間一家お籠り状態〟はまさに地獄だ、

 

と言う人も多いのではないだろうか。

 

それに、商売をしている人には死活問題でもある。

 

 

だが、もうここは、腹をくくるしかない。

 

起きていることに抵抗するのをやめ、

 

この機に、仕事、学校、趣味の集まり、飲み会、など、

 

これまで外へ出ることで直視することを避けてきた、

 

〝家族内分離〟にしっかりと向き合ってみるのだ。

 

 

どうするかというと、

 

いま、この瞬間に起きていることに〝ただ在り〟、

 

家族という自分が作った夢の登場人物をただ見過す。

 

そうすることで、自分の認知機能障害に気づいてゆく。

 

 

家の中で、妻や夫や子供が放った心ない一言に、

 

はらわたが煮えかえったら、また、大喧嘩に発展したら、

 

その状況に抵抗せず、ただ〝在り続ける〟ことで、

 

本当は愛し合いたい、感謝しあいたかったんだ、という、

 

怒りの裏に流れている本当の気持ちに気づいてゆく。

 

そして、その裏の気持ちこそが神の愛なのである。

 

何のことはない、怒りは愛の裏返しだった。

 

 

以前、ウイルスは人と人とを分離させる、と書いたが、

 

最近、ウイルスが人々を分離させているのではなく、

 

すでに人々が分離していたことに気づかせるために、

 

ウイルスが顕れているのではないかと思うようになった。

 

ひょっとして、ウイルスも愛が裏返った結果なのかも…。

 

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というわけで、

 

ひとつの意識である〝所帯持ち兄弟〟の皆様が、

 

こうして家族内分離を赦してくださるお陰で、

 

独り身の僕は、家でまったりワインを飲みながら、

 

イースターの長期休日を過ごせる。

 

改めて、所帯持ちコース兄弟の皆様、

 

ごっつあんですっ!

 

その代わり、

 

ピラフを注文したらパスタが来ました、とか、

 

部屋に入ってきたコバエを赦しました、とか、

 

そういうのは僕に任せといて!(笑)

 

(👆でたあー、ご都合奇跡講座!)

 

👇 定番、地獄シリーズ。懐かしいーっ! 👇

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話は変わって、アパホテルに隔離ってどうなんだろう?

 

僕も東京支社へ出張する際、ドーミーインが満室だと、

 

アパに泊まることもあるのだが、う~ん、

 

あの狭い部屋で外出もせずに14日間も過ごすのは、

 

アパの社長、あ、もとい、コロナより怖いかも…。

 

 

通行人A

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👆 日本のアイスキャンデーの大量買い。

  シャトレーゼがすぐ近くにあるので、便利。

 

今、この夢を見ているのはあくまでも〝わたし〟であり、

 

ゆえに、これは〝わたし〟が見ている夢の物語である。

 

なので、自分の夢に出てくる登場人物は一人残らず、

 

それがどんな大人物であろうと、カスな奴であろうと、

 

ただの登場人物で、それ以上でも、それ以下でもない。

 

言うなれば、

 

自分以外全員エキストラ、つまり、通行人Aなのだ。

 

 

それなのに、僕達は大抵、エキストラを主役にしている。

 

本来は自分が夢を見ている者(主役)なのに、

 

見られている者(エキストラ)の方にその座を譲っている。 

 

寝ている時に見る夢を思い出せばわかると思うが、

 

夢のストーリーは常に、支離滅裂でハチャメチャである。

 

なのに、夢を見ている最中は、なぜかそれを信じており、

 

自分の中では話の筋が通っていると思い込んでいる。

 

 

要するに、眠っている時に夢を見るのと同じ状態、

 

夢を見ている者が、これは夢だと認知していない状態、

 

エキストラに振り回され、主体が不在の状態、

 

それが、認知症の状態、つまり、今の僕たちである。

 

逆に言えば、認知症の人とは、自分が無くなり、

 

夢の登場人物が主役になっている人のことである。

 

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パートナーの心ない言動に一瞬殺意を抱いた、

 

親を馬鹿にする自分の子供の態度にマジ切れした、

 

いつも雑用ばかり押し付けてくる同僚にムカついた、

 

こんな思いに、キキーッ、となっているそこのあなた、

 

それって、うちの認知症の父親が、母のことを

 

〝わしの金を盗む泥棒〟と認知して罵るのと同じ、

 

認知症の症状を発症中なだけですから…

 

 

本当は、そんなことなど一切起こってなく、

 

父のお金はそこにあり、母はただテレビを見ている。

 

「ああ、おいどん、ただ勘違いしとっただけばってん…。」

 

と、自分がすでに神の中にいたことに気づくだけなのだが、

 

まあ、そんな簡単に行けば、今頃全員神の国でごわす。

 

(って、なんで急に鹿児島弁?)

 

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 まあ、究極的には、多くのコース教師が言うように、

 

「そんな夢を見ている自分すらもいないんですよ」

 

「本当は神と同じ霊(スピリット)の存在なんですよ」

 

ということになるのだろうが、よく考えてみてほしい。

 

まだメシを食ってない、と駄々をこねる認知症患者が、

 

いきなり神へなど、シフトできるわけがないではないか。

 

「密かな罪悪感に気づいて、それを聖霊へ明け渡し…」

 

なんて、そんな高度なミッション、

 

うちの父親にやれと言っても無理なのと同じで、

 

すでに認知し損ねている者にとっては至難の業だ。

 

 

なので、一気に神の方へ向かおうとするのではなく、

 

先ずは、夢を見ている自分に力を戻すことから始める。

 

エキストラに明け渡していた主役の座を、

 

自分の方へ取り戻すのだ。

 

それには、カスな相手に怒り爆発してしまった自分、

 

娘や息子にナメられまくって怒り心頭な自分、

 

人の目を気にして何も言えない自分、に対して、

 

一切抵抗しないでいることである。

 

怒りは怒りのまま、抵抗せずに夢の目撃者であることで、

 

エキストラをエキストラとして、通行人Aを通行人Aとして

 

眺める(見過ごす)ことができる。

 

 

なにはともあれ、主役の私を中心(いま)に置くこと。

 

自分が言うべきことはきちっと言えるようになること。

 

神の愛を感じでどうの、自分なんかなかったこうの、

 

というのは、自分が中心に戻ってからの話である。