香港さんといっしょ! 奇跡講座(ACIM)と純粋非二元

欲望都市香港で奇跡講座を実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

赦すために働く

f:id:shusaku1:20190522233939j:plain

 

〝聖霊が顕現されて見出される神殿というのは、

 

 関わり合いの中にあります〟

 

 

『奇跡の原理』の原理20に出てくる言葉が深く入る。

 

あらゆる人々との関係の目的を、

 

自我の罪悪感から、Jの赦しへと移行させることで、

 

聖霊がここにいることが、分かるようになるというのだ。

 

 

肉体ではなく、心の中(背後)から兄弟に繋がる為には、

 

常に、決断の主体から世界を眺めることが必要となる。

 

その位置から再び出てしまわないために、

 

あらゆるシーンで聖霊兄貴を想いだし、警戒してゆく。

 

f:id:shusaku1:20190522233902j:plain

↑ 夜の無人駅 

 

今週火曜は、甲府本社で終日会議だった。

 

午前中は部門長会議があり、午後からは、

 

香港支社の来期(7月~)予算策定会議に参加した。

 

 

こう見えて、僕は、

 

大勢の人の前で何かを発表することが大の苦手である。

 

大勢の前で誰かからツッコまれることに、

 

多大な恐怖を感じてしまうのだ。

 

冷静に考えれば、普通に答えられることでも、

 

ツッコまれたその瞬間は、攻撃されているという恐怖に、

 

あたふたしてしまうのである。

 

;実際には誰も何とも思っていないのだが、本人は、

 

恥をかかされた、プライドがずたずたにされた、

 

と妄想して、心の中がぐじゅぐじゅ状態となってしまう。

 

 

部門長会議が始まった。

 

あいにく、香港支社の発表は一番最後だ。

 

僕はびゅんびゅんしんがら順番を待っていた。

 

しかし、僕はもう、妥協なく赦すと決心していたので、

 

順番を待つ間も、J兄貴を想いだしつつ、

 

神の子が無いものを見て動揺するのはあり得ない、

 

と宣言しながら、びゅんびゅんを兄貴に運び続けていた。

 

 

このとき、メインとなるのは、

 

会議で自分が事無きを得ることではなく、

 

どんなびゅんびゅんの最中であっても、

 

J兄貴を想いだし、そのびゅんびゅんを、

 

これは自我であり、故に無だ、と、直視していることだ。

 

もう、会議の内容が云々よりも、観る事だけに集中した。

 

 

そもそも、兄弟たちは自分に対して何も為さなかった。

 

故に、自分は、

 

兄弟が何も行なわなかったことを赦すだけである。

 

全て自分自身の心の中だけでやっていることに気づく。

 

 

そうやって〝無意識没入状態〟に警戒しながら、

 

いま、この瞬間瞬間を過ごした。

 

まあ、いつもそうなのだが、心の中の動揺とは裏腹に、

 

会議は滞りなく進み、あっけなく終わった。

 

そうして夜、社長やその他幾人かで食事に行き、

 

なぜか、昔の80年代アイドルの話で盛り上がった。

 

f:id:shusaku1:20190522233909j:plain

↑ 田舎の旅館の温泉で… 

 

こんなとき、以前の僕であれば、解放された気安さで、

 

J兄貴のことなど忘れ、はちゃけてしまうのだが、

 

もうどんな一瞬も、J兄貴は自分の心の中に生きている

 

ことを自覚し、心側から兄弟とつながる、

 

という確固とした意志を持ちながら過ごした。

 

それはもう、

 

一瞬たりともJを忘れない、という宣言でもある。

 

 

f:id:shusaku1:20190522234113j:plain

↑ ドーミーインは朝食がすごい! 

 

とまあ、そんなこんなで、東京へ戻ってきた。

 

今回は、八丁堀ドーミーインに泊まった。

 

ここには、硬度ゼロの超軟水温泉がある。

 

この湯に浸かると、皮膚も髪も、さっらさらになるのだ。

 

夜には、無料の夜鳴きそばも出るし、

 

フロントのコーヒーも飲み放題である。

 

それに、何と言っても朝食がすごすぎる。

 

ビュッフェ形式で、

 

和食コーナーと洋食コーナーがあるのだが、

 

両方はとても食べられず、今回は和食にした。

 

これで、一泊9800円なんて、コスパ良すぎ!

 

f:id:shusaku1:20190522233949j:plain

 

あくる日は、新会社設立一周年記念式典に出席した。

 

メインは甲府本社で行われるのだが、僕は、

 

午後に香港へ戻るので東京支社からZOOMで参加した。

 

くす玉割りもあり、記念の紅白まんじゅうももらった。

 

こういうとこ、うちの会社はかなり日本的である。

 

財務だから知っているのだが、新会社の業績も好調だ。

 

 

帰りの飛行機は、久々のイケイケキャセイ便だった。

 

氷河の流れのように優雅なJALのCAさんとは裏腹に、

 

まるで流星の如く、シャカシャカ動くキャセイのCAさん。

 

映画を観ながら、赤、白、赤、白、とワインをおかわりし、

 

映画の後は、奇跡の原理を読んですごした。

 

 

ワプニック兄貴、さすが、年季が入っているだけあり、

 

やはり昔の人は表現が上手い。

 

 というわけで、ほろ酔い気分で香港に着いたボクであった。

ある決意

f:id:shusaku1:20190522000640j:plain

 

昨日は香港から山梨の甲府まで、長い移動の旅だった。

 

朝8時に香港の家を出て、啓徳空港から成田へ飛び、

 

そこからバスに乗り換え、甲府へと向かった。

 

甲府からローカル線に揺られ、降りた無人駅から、

 

一台だけ停まっていたタクシーで宿へ…。

 

こうして、街に一軒だけある古い旅館に入ると、

 

従業員はすでに帰宅し、フロントに鍵だけ置いてあった。

 

地方の温泉旅館独特の、漆喰と古い畳の匂い。

 

なんだか、昭和を想いだす。

 

部屋で一息ついた時は、夜の10時を過ぎていた。

 

f:id:shusaku1:20190522000634j:plain

 

長い長い移動中、僕は、

 

ひとつひとつの現実(僕の場合は会社がメイン)を、

 

一つの妥協も無く赦していく、と、堅く決心していた。

 

一寸の取りこぼしも見逃すことなく、自我は無であり、

 

自分は自我ではない、ときっぱり否定してゆくのだ。

 

 

同僚にイラッとくるとき、チョー緊張する会議の場で、

 

又は、電車で見かけた人や明日の事を考えている自分、

 

事がうまく行ってホッとしている自分、などなど、

 

それら一刻一刻のシーンにコ―スの概念を適用し、

 

これは自分でもなければ本当でもない、と宣言してゆく。

 

 

これまでだって、実践はやってきた。

 

しかし、どこかまだ、世界に没入していたい自分がいて、

 

どんなシーンにも警戒する、とは言い難かった。

 

でももうこんな中途半端な赦しをしていても仕方がない。

 

少しでも離れていたら、それはもう自我を選んでいる。

 

で、〝決断の主体から見えている世界〟を守る為だけに

 

警戒してゆこう、と思った。

 

 

こうなるともう、会社で仕事をする事がメインではなく、

 

また、日常生活を潤滑に送ることが目的ではなく、

 

仕事を通してコースを生きること、また、24時間、

 

コースそのものとして在ることが最優先事項となる。

 

f:id:shusaku1:20190427123458j:plain

 

閑話休題。

 

さっき、自我を否定してゆくと書いたが、

 

やはり重要となってくるのは、

 

聖霊を選ぶ、でもなければ、自我を選ばない、でもなく

 

世界(自我)は〝無〟だ、という完璧な否定である。

 

 

しかしまた、これにはかなりの覚悟が伴う。

 

本気でこれをやり始めると、自我が黙っていないからだ。

 

経験済みの僕が言うのであるが、僕の場合、

 

それはもう、巨大な虚無となって襲いかかってくる。

 

テレビで楽しい番組を見ているだけでも苦しく、

 

やるせない思いに締め付けられるのだ。

 

 

これって、かなりマニアックで、ドン引きな道だ、

 

自分でも思う。

 

この夢の世界で、幸せな愛と調和の毎日を送りたい、

 

と望んでいる、よい子の皆さんには、

 

決して、決しておススメしない。

 

真似すると、どえらいことになるよ!

 

(↑ しねーよっ! from 読者)

 

 

そもそも、コースは準備と覚悟ができていなければ、

 

真に学んでゆくのは不可能だ、と、

 

ここへ来て悟った次第である。

 

 

それでもいい。

 

だって、もう後へは戻れないし、引き返すつもりもない。

 

なぜなら、本当の平安に気づいてしまったから…。

 

手に入れたと思ったら取り上げられるような、

 

そんなニセモノの平安など、もう要らないのだ。

 

 

こうして深夜、J兄貴を感じながら、

 

人気のない、ひなびた温泉に浸かっている僕であった。

 

 

背後と背後でこんにちは

f:id:shusaku1:20190518190115j:plain

 

前回の記事で書いた、どんなときも、間断なく、

 

聖霊を憶えている、という心の訓練は、

 

僕にさまざまな変化をもたらした。

 

 

そうは言っても、僕もまだまだ修行の身であるため、

 

忘れては思い出し、離れては戻り、の繰り返しである。

 

それでも、自分は肉体ではなく〝心〟だったんだ、

 

という自覚の中で、自分というアイデンティティが、

 

肉体から心へと、移行し始めたのを感じている。

 

 

というのも、

 

以前、このブログでも書いた〝自我の逆襲〟以降、

 

心の中へ戻ることが怖くなっていた時期があり、

 

自己概念B(肉体)レベルで大放出をしてしまっていたり、

 

どこか、うわ滑ったような赦しをしていたりした。

 

 

まあ〝ドカびゅん〟マックスの最中は、

 

外に原因を見いだすこともできず、また、

 

誰のせいにもできない恐怖や怒りにただなす術もなく、

 

その〝自我の抵抗〟が落ち着いてからも、

 

無意識のうちに古傷が疼くのを避けるようになっていた。

 

 

しかし、四六時中、聖霊を想い出していることで、

 

自我に警戒をするようになったからか、

 

自分のアイデンティティが肉体から心に移行すると、

 

徐々に、肉体が自分だ、という感覚が薄れはじめ、

 

逆に、自分は肉体ではない、という感覚が強くなった。

 

 

それでもまだ、僕の心の中(自己概念A)は、

 

間違った心の状態なのだけれど、

 

そんな心の中を直視して赦せるようになってきた。

 

これからは、こうやって、聖霊兄貴と共に、

 

心の中から世界を眺めてゆくうち、いつかきっと、

 

決断の主体にまで運ばれていくのだな、と確信した。

 

 

blog.hoshitani-shusaku.com

 

人や、動物や、街の風景や、自然の風景など、

 

世界が全て後ろ側(心の中)へ返されてゆく。

 

やがて、自分が肉体ではなく、心だった、と自覚すると、

 

この兄弟も、あの兄弟も、みんな肉体じゃなかった、

 

というふうに知覚されてくる。

 

 

感覚的に言うと、自分の背後と、他者の背後、つまり、

 

自分の心の中と他者の心の中は後方で繋がっており、

 

同じひとつのものだった、と感覚化されてくる。

 

 

そうなると、肉体としての誰かがやっていることを見て、

 

この人はこういう所が間違っている、とか、

 

あの人はまだ分かっていない、と思うことに、

 

一体、何の意味があるというのだろう。

 

だって、その人が本当にどうなのか、なんて、

 

誰にもわからないし、誰かを見て何かを想ったとすれば、

 

それは自分の心の中を通して見た他者の姿のだから、

 

それはまぎれもない〝自分の姿〟である筈である。

 

 

しかし、僕も、そんなに偉そうなことは言えない。

 

それでも、相手を批判したくなる衝動は湧いてくる。

 

ただ、聖霊を感じながら生活している中で、

 

そういうことに、少しずつ気づけるようになってきている。

 

f:id:shusaku1:20190518190131j:plain

 

というわけで、明日から山梨の甲府である。

 

月曜日と火曜日の午前中を甲府で過ごして、

 

午後から東京へ移動をする。

 

明日日曜に日本へ移動するので、休日出勤である。

 

これで、未消化の代休が4日になった。

 

休みを取らないと元コンババ部長がうるさいので、

 

それで、来月、ごそっと連休を取ろうと考えている。

 

 

今回の飛行機は、行きも帰りも日本航空。

 

JALは、即席ではないお味噌汁が出る。

 

というわけで、

 

日本では、美味しいものをいっぱい食べながら、

 

これらの、

 

起っているように見える心の中の出来事を見つめ、

 

聖霊にごそっと捧げてゆくのだ。