香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

聖なる夏休み

 

 

何ていうか、

 

今この瞬間って、捉えた先から消えてゆく。

 

まるで、過去をなぞって生きているような感じ。

 

ビッグバン以前、分離が起こる前のすがたは、

 

今この瞬間に見えているもの、聞こえているもの、

 

匂っているもの、味わっているもの、感じているもの

 

の活動の〝奥〟に、つまびらかになっている。

 

しかし、見ようとしたり、聞こうとしたり、したとたん、

 

今この瞬間から、ズレていってしまう。

 

神はずっとここに在るのに、意識が見えなくしている。

 

 

👇 今から10年前、2014年の夏

         工場従業員200人全員を僕が解雇

   総経理室に監禁されたツライ過去

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というわけで、

 

日本全国の学校も、夏休みに入ったことだし、

 

このブログも、9月までお休みを頂くことにします。

 

何度も書いている通り、今年の夏はどこへも行かず、

 

創作、筋トレ、晩酌、ときどき新世界、という感じで、

 

今この瞬間瞬間に起こることに委ね切って、

 

ゆったりのんびり過ごそう、と思っている。

 

ああ、金鳥の夏、日本の夏…!

 

西瓜もいっぱい食べよう!

 

 

あ、そうや。

 

追試があったんやった。

 

あいつら(かわいい?教え子たち)の…。

 

くぅーっ!

 

 

 

 

ではでは皆さま、最高に暑くて楽しい、

 

聖なる夏をお過ごしください。

 

 

こんな世界はうんざりなんだ

👆 土曜深夜1時のジム

      このひっそり感がすき! 

 

ふっと出てきた思いを意識が捉らえて、

 

それを〝自分が考えた〟と勘違いしている、とか、

 

その思いがふっと出てこない限り何もできない、など、

 

最近、ふっふっふっふっ、と、やたらうるさいボクだが、

 

じゃあ、この〝ふっ〟はどこからやってくるのか、

 

どうやって〝ふっ〟とした思いが湧いてきているのか、

 

と言えば、これはあくまで僕の見解なのだが、

 

それはビッグバン(第4分裂/分離)と共に始まった、

 

と言えるだろう。

 

なので、意識は〝ふっ〟より前を知らない。

 

それは意識が生まれる前の話だからだ。

 

 

そういう観点から見れば、

 

今この瞬間には、時間も空間もないため、

 

一切の解釈を見過ごし、今この瞬間の縦軸へ、

 

強烈にフォーカスすることで、

 

ビッグバン以前まで瞬時に遡ることができる。

 

そして、その0.00001秒の聖なる瞬間から、

 

再び、個のわたしが回復した時、

 

そもそも分離など起こっていなかったことを智るのだ。

 

 

これまで僕が書いてきたように、

 

街行く兄弟たちや、街の何気ない風景を見て、

 

性的オーガズムにも似た巨大な法悦感を感じて、

 

あわわわわーっ(ヌレヌレボッキン)(笑)

 

となっていたのも、

 

これまであらゆる解釈(考え)によって歪められ、

 

モノや人の中に閉じ込められていた神が解放され、

 

この人は、誰々さんだから愛してる、

 

これは、自分が大好きなことだから愛を感じてる

 

ではなく、ただ、愛してるーっ、だけが、

 

ダイレクトに出てきた結果だったのだと今なら解かる。

 

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しかし、こう書くとまた、

 

「全部〝ふっ〟と出てくる思いだけなのは分かった。

 

じゃあ、なんで自分には、こんなにも苦しく、

 

ネガティブな〝ふっ〟の想いばかりが出てくるのか、

 

どうすれば、もっといい〝ふっ〟になるのだろう?」

 

と、意識はすぐに〝横取り〟しようとしてくる。

 

ムリである。意識はふっ以前を知らないのだから…。

 

それに、ふっ、を捉えた時にはすでに終わっている。

 

だから、僕はもう、こんな世界はうんざりなので、

 

〝閉店ガラガラ、いち抜けやんぴ〟である。

 

 

真にこのVR世界から解放されるためには、

 

今この瞬間のほんの一瞬、

 

意識の活動を完全に放棄しなければならない。

 

それが〝少しの意欲〟であり〝一瞬黙る〟、

 

の意味だと思っている。

 

 

 

全ては後の祭り

 

 

見えているもの、聞こえているもの、匂っているもの、

 

味わっているもの、感じているもの、といった、

 

知覚に委ねきって(渡しきって)じっとしているとは、

 

どういうことなのかと言うと、

 

これはペンだ、彼は山田さんだ、あれは通天閣だ、と、

 

具体的に解釈する前にある、抽象的なものを、

 

実態が明確でない印象のままに観る、ことである。

 

で、抽象的なものを観るとはどういうことかというと、

 

説明できないものを説明できないまま放っておく、

 

その説明できない〝感じ〟のままでいる、ことである。

 

 

例えば、このチョコレートの味を説明しろ、と言われて、

 

甘くて、でもちょっと苦くて、香ばしくて、と説明しても、

 

甘さや苦さにも、様々な甘さや苦さがあるし、

 

じゃあ、香ばしいってどんな味?

 

と訊かれても、表現することは絶対に不可能だ。

 

味そのものを伝えることなど絶対にできないのだ。

 

それでも僕たちはそのチョコレートの味を智っている。

 

最愛のパートナーである山田さんがどんな人なのか、

 

説明しろと言われてもできないが、

 

本人の気質、本質、はちゃんと理解できている。

 

 

水色、赤、ピーポーピーポー、ニャーニャー、

 

運子の匂い、キャラメルの味、暑い、寒い、など、

 

それを相手が〝体験〟していなければ、

 

いくら言葉で説明しても理解は起こらない。

 

「ほら、水色だよ、青の薄いやつ!」と言ったって、

 

相手が水色を見て体験していなければ、

 

いくら説明しても理解できないのだ。

 

解釈をして言葉で表現される前の、

 

説明のしようもないけど解っているもの、

 

その色そのもの、その音そのもの、匂いそのもの、

 

味そのもの、体感そのもので〝放っておく〟。

 

放っておこう、とする自分の意識もなく…、である。

 

 

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そうして、解釈が途絶えた0.00001秒の瞬間、

 

ハートが開いて、神の悦びが、ぐわああああーっ、

 

と駆け寄ってくる。(あくまで、僕の場合、である)

 

それが一瞬沈黙することであり、わずかな意欲であり

 

兄貴に委ねるということであり、聖なる瞬間と言える。

 

だが、そのためにはやはり、ちょこまか動かない時間、

 

静かにじっとしていられる時間、が必要になってくる。

 

しかし、仕事とか、子育てとか、趣味に没頭していると、

 

わかっちゃいるけど、またそのうち…、となってしまう。

 

勉強に集中しようとすると他の事が気になるのと同様

 

神に向かおうとすると、神以外の何かをし始める。

 

 

旅行や、リトリートや、趣味や、仕事に捧げても、

 

0.00001秒ですら兄貴には絶対に捧げないという…。

 

コース兄弟たるもの、そろそろ腹を決めるのだ!