香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

僕の平安〜鹿児島二日目〜



雨天の前日とは打って変わり、

うららかな春の日差しが降りそそぐ晴天となった。

この日は10時前には目が覚め、

K代さんが裏の畑で栽培している新鮮な野菜で作った

スムージーと朝食をとったあと、いざ、温泉へ…。


地元の人しか来ないその温泉は、人も少なく、

露天風呂はほぼ貸切り状態だった。

湯も少し粘り気があって、サイコ−に気持ちいい。

途中、九州男児(もとい→男爺)たちが見守る中、

僕が開発した〝メタボ撲滅ぐるぐる体操〟を、

湯船の中で、右回りと左回りに、50回ずつやった。

血行の良いときにやると効果倍増で、

周囲の九州男爺たちも見て見ぬふりをしてくれた。


湯船から上がると、K代さんから、

「肌がつるつるになってるわよ、

 化粧品の使用前、使用後みたいよ。」

と言われ、ひゃっほーい、となった僕。

その後、

本当は黒豚ラーメンを食べに行く予定だったのだが、

何だかお腹が重く、昼食という感じでもなかったので、

山の中のカフェで、お茶をすることになった。

ここは、

公務員をリタイアしたマスターがやっている

山小屋風カフェで、自家製ケーキが売りだ。

ただ、冬は暖房が効かないのと、夏は虫が出る、

という理由で、その時期は休業するのだという。

なんともユルーい感じのカフェであるが、

こうしたゆったり経営って、

地方だからこそ可能なんだろうなあ、とも思う。

都市部ではなかなかこうはいかないだろう。


しかし、K代さんが車を駐車場に入れようとしたとき、

「あれ、俺、ここ来たことある。」と思った。

車を降り、前を歩くK女史の姿、駐車している車の列、

砂利道の音、カフェの褐色の壁…。

ここ、絶対に来たことがある。同じ記憶がある。


次に、お揃いの紺色のダウンベストを着た夫婦が、

流れ落ちる湧水を見ながら談笑しているのが見えた。

彼らの顔、表情、動作。これ、完璧に記憶と同じだ。

デジャヴ、などという生易しいものではない。

それは「昨日、家でハンバーグを食べました。」

と言うのと同じくらい明瞭な、

自分はここでこれを経験した、という確たる記憶だ。

カフェに入る。

奥のテーブルから見える外の風景を

目の当たりにして、再度、記憶が呼びさまされた。


コーヒーを飲みながら、この事を二人にシェアする。

これはもう、起こることは決まっている、

ということの象徴ではないか、と二人は言った。


本当はラーメンを食べに行く予定だったのが、

ふっ、と思いが湧き出て、行き先を変更した。

当然、自分たちが行き先を変更したと思っているが、

自分の決断の根源をよくよく突き詰めてみると、

ただ〝ふっ〟とそういう思いが出てきただけと解る。

なので、自分たちは何ひとつ決めていないし、

何ひとつ、自分で結果を勝ち取ってなんかいない。

批判を恐れず言うならば、

羽生選手の優勝さえも、練習しよう、という

〝ふっ〟と湧き上がる想いに突き動かされた結果、

優勝した、ということになる。

もちろん、努力が悪いと言っているのではない。

素晴らしいパフォーマンスには努力が不可欠だ。

しかし、その努力は個の自分が決めたことではない。


結局、僕たちは、自分では何もできていないのだ。

聖霊にお任せしたら、自分がなくなるじゃないか、

と聖霊を拒絶したところで、

実際には、エゴにお任せしているだけで、

自力では何もしていないことに変わりはない。

なので、結局、この現実を使ってすることは、

自我の〝ふっ〟から、聖霊の〝ふっ〟へと、

自動的に湧き上がる思いが変化するよう、

聖霊兄貴に明け渡してゆくことだけなのだ。

そうすることで、兄貴が設定を取り消してくれる。


カフェの帰り、K女史の直感で、TSUTAYAに寄り、

デイヴィッドが紹介している映画を3本借りて帰った。

もちろん『祈りのちから』も借りた。


夜は、

K代さんが作ってくれたお赤飯や煮物や焼き魚に

舌鼓を打ちつつ、焼酎やワインを飲み、

映画を鑑賞した。

そうしてこの日も、

語り合いは明け方まで続いたのであった。