👆 枝垂れ桜はソメイヨシノより花の色が濃い
市内の桜がようやく満開になりつつあるこの時節、
枝垂れ桜を堪能しに、徳島県神山町まで行ってきた。
午前中雨が降っていたので、どうかな、とは思ったが、
現地に着く頃には雨もやみ、薄日が差し始めていた。
険しい山道を進む。が、一向に桜が見えてこない。
あれ?道を間違えた?と不安がよぎった次の瞬間、
さっと道が開け、桜色の斜面が目に飛び込んできた。
👆 神の中にいるみたい
辺り一面〝サクラ!さくら!桜―っ!〟という感じで、
それはもう、見事な枝垂れ桜が無数に咲き乱れ、
山の斜面全体を覆っていた。
斜面に作られた歩道を進む。
ソメイヨシノは、下から見上げるような感覚だが、
枝垂れ桜は、上から迫ってくるような迫力があり、
まるで桜色の花の中に埋もれているみたい。
この日は平日で、午前中雨だったこともあり、
花見客もまばらで、駐車場もガラガラだった。
お蔭で、静かに一人、瞑想のような時間を過ごせた。
時折、強い風が吹き、桜の花びらが舞い上がる。
桜風吹の中で、やさしい多幸感に包まれる。
自分が見ている夢の世界で何が起こっていようと、
桜の中で感じている今この瞬間の〝愛の感じ〟は、
神を反映している。
そして、それは僕自身の心の中を反映しているのだ、
と思った。
なぜなら、
この桜の花を見ても何も思わない人は思わないし、
余命宣告されている人がこの桜の中に佇めば、
また、全く違った感慨を持つと思うからだ。
👆 これ全部さくらだよ!すごくない?
このすばらしい桜たちの下で、
全てに大肯定されているような感覚の中にたたずむ。
どんなに意気地がなくても、邪悪な事を考えていても、
そんな解釈でさえ大肯定されていることを体感する。
僕はいま、桜を見てこんな風に感じているけれど、
本当は、これは桜ではなかったのだ。
ここは、地元に住む里山の方たちが、
6本の苗木から、30年以上の年月をかけて、
ここまで立派な桜林に育ててこられたのだという。
そのうえ、ここは全て無料で開放されており、
入場料も、駐車場代も全てタダである。
地元の方たちの努力と心意気に本当に頭が下がる。
駐車場の入口に小さな木の募金箱があったので、
感謝の意を込め、2千円ばかり入れさせて頂いた(少)
というわけで、
きょうもまた、とても幸せな一日であった。