転生について考えていたとき、たまたま、
BS1で『輪廻の少年』というドキュメンタリーを見た。
チベット仏教の盛んなインドのラダック地方で、
5歳の少年が、チベットの高僧であった前世を語りだし、
村の僧院でリンポチェ(高僧の生れ変わり)と認められる。
チベットの僧院へ少年の存在を伝えたにも関わらず、
中国政府に弾圧されているチベットの僧院からは
一向に迎えの使者が来ず、とうとう彼が10歳の時、
偽のリンポチェだ、として村の僧院を追放されてしまう。
彼にはリンポチェを世話する〝おじさん〟がいた。
おじさんは、献身的にリンポチェのお世話をし、
彼をあらゆる困難から優しく守る。
そして、リンポチェが12歳になったある日、おじさんは、
リンポチェを連れてチベットを目指して旅立つ。
ヒッチハイクや民家に泊めてもらいながら、
2か月かけて中国国境の村に辿り着く。
しかし、国境は封鎖されており、吹雪の山の中で、
とうとう二人は身動きが取れなくなってしまう。
そのとき、寒さに凍えながら少年は言う。
「おじさんがいなければここまで来られなかった、
おじさんと一緒にいられて嬉しい。」
最後、国境付近の僧院でリンポチェは、
高僧になる為の高度な教育を受けることになった。
それはまた、おじさんとの別離を意味していた。
雪のない〝エア雪合戦〟をしながら泣き崩れる二人。
そして、おじさんは僧院を去ってゆく。
このドキュメンタリーを見て僕が思ったのは、
おじさんのリンポチェに対する愛と献身と保護、、
リンポチェの純粋さと、全てを受け容れる慈悲の心だ。
本当に少年が高僧の生まれ変わりかどうかは別として
おじさんは、本来いるべき場所へ少年を帰そうと、
懸命に少年の手を引き、寄り添い、導く。
その導きにリンポチェの少年も素直に従う。
どんな人にも導き手はついている。
それは聖霊の化身としての兄弟だ。
なので、何かにつけ、自分がコントロールしようとする
〝わたし〟を脇に置き、周囲にいる兄弟たちに、
〝信〟と〝感謝〟と〝敬意〟を持って接するべきだ、
と思うのだ。
それで、このドキュメンタリーを何度か繰り返し見た後、
自分が造りだしたこの幻想世界(自分の心の中)全てを、
もう聖霊兄貴に返してしまっていた。
なぜか、自分の世界を聖霊のものとしてください、
と、世界をそっくり丸ごと聖霊に返却してしまったのだ。
これからは、目の前にどんなことが展開されても、
それは聖霊の心の中で起っていることであり、
終わってゆかせるために顕われていることとなる。
もう、本当の意味で、
自分でコントロール必要も、決断する必要もないのだ。
リンポチェのように、兄貴の導きに付いて行くだけだ。
そうして、僕の世界が聖霊のものになってしまった、
と思った瞬間、全てが〝ここ〟にあったことを智った。
自分が作ったと思い込んでいる世界丸ごと返したら、
全てが与えられた。
これからも、いろんなことが起きてゆくだろう。
スマホも失くせば、パソコンも壊れるだろうし、
大切な人と別れることになるかもしれない。
それでも、自分は全てを〝ここに〟持っている、
という圧倒的な理解が起きている。
そうは言っても、僕はまだ時間の中にいるので、
今後は、肉体を脱ぐまでは聖霊と世界を共有しながら、
やるべきことをやってゆくことになるのだろう。
というわけで、いま、沖縄のPALM CHURCHにいる。
今回もまたまた、なぜかわからないのだが、
カウンターへ行くとビジネスクラスに変えられていた。
空港ラウンジも使え、おかげでゆったり過ごせた。
沖縄は暑かった。半袖で十分過ごせる。
海流のせいか、香港より全然暖かい。
丸ごと聖霊兄貴と化してしまった世界で、
4日間、コース兄弟たちと濃密な時間を過ごす。