香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

自己肯定感とコース

👆 名古屋でとんテキ

 

 

前回からの続きで、自己肯定感の話である。

 

昔、どんな手を使ってでも自分責めをやめろ、と、

 

散々このブログでも書いてきたが、その理由は、

 

自分責めをしていると、自己肯定感が損なわれ、

 

結果、神に開くことができなくなるからだ。

 

例えば、パワハラクソ野郎上司が会社にいたとして、

 

相手は、はやく俺と真っ向勝負して決着をつけろよ、と

 

名演技で、嫌な役を熱演しながら、

 

愛を放ってくれているのに、

 

自己肯定感が低いと、自分のほうが悪いんだ、とか、

 

怖くて何も言えない、とか、これがコース兄弟になると

 

ただ聖霊に委ねるだけだ、という〝方便〟を使って、

 

自分が信じて見ている映像から逃げてしまう。

 

自分が信じて造っているのに…、である。

 

要するに、自己肯定感が低いと、

 

赦しの実践が全くできず、神にたどりつけないのだ。

 

 



 

また、自己肯定感が低いまま、コミュニティに参加して

 

コースの赦しにどっぷり入っていってしまうと、

 

罪悪感や無価値感、自己嫌悪といった〝闇〟が、

 

どわーっと噴出してきてしまって、不安や恐怖で、

 

心身ともに傷つき、へとへとになってしまったりする。

 

なぜなら、普段から自分バシバシバッシングな人が、

 

自己の中の罪悪感を直視してしまうと、

 

それを赦せない自分を余計に責めてしまうからだ。

 

 

なので

 

〝信じない、同意しない、採用しない〟

 

〝離れてない。起こってない。だから罪はない〟

 

〝自分はいない。他者もいない。だから世界はない〟

 

を、本当の意味で実践できるようになるのは、

 

ある程度、自己が癒された後の話だと思うのだ。

 

 

👆 栄町の〝ザ・女子大〟

 

なので、先ずは、小さなことから自分を癒してゆく。

 

仕事帰りに好きなカフェでまったりお茶してみたり、

 

部屋に花を飾ってみたり、マッサージへ行ってみたり、

 

逆に、思い切り「大嫌いっ!」と叫んでみたり、

 

後は、今日も会社へ行けた、髪の調子がいい、

 

究極は、ちゃんと歯を磨けた、というようなことまで、

 

時間をかけて、

 

自分を〝ほめて〟(認めて)やることから始めてみる。

 

いや、それでも不安感や恐怖が出てくるんです、

 

というかもしれないが、ずっとではないはずだ。

 

今この瞬間の映像に集中してみれば、

 

ただ机があり、椅子があり、何も起こっていない。

 

 

blog.hoshitani-shusaku.com

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いや、でも自分は直接〝神〟へ向かいたい、

 

自分を肯定するなんて、引き寄せレベルの話で、

 

これはコースではない、

 

これでは、個の自分を実在だと認めることになる、

 

と言う兄弟もいると思うが、急がば回れ、である。

 

ていうか、まだそこまで至っていない。

 

ちょっと考えればわかると思うのだが、

 

自分を否定しながら、神を肯定するなんて無理だし、

 

屁理屈を言っている時点で個の自分を認めている。

 

 

というわけで、また眠くなってきたので、

 

続きは明日…。