とにかく、とにかく、自分責めを止めろ、
どんな手を使ってでも止めろ、根性で止めろ、
とまあ、ここのところ、小姑みたいに
ぎゃんぎゃんうるさい限りの僕であるが、
実際のところ、
神も、兄貴も、愛も、無限の全体も、赦しも、
全ては自分責めを止めなければ始まらない。
「頭ではわかっているけれど、
どうしても、自動的に責めてしまうんです」
と言ったりするが、本当はやめる気がない。
やめる気がない事を証明する例を挙げるならば、
あなたが、自分の幼い子供を虐待しているとして
血を流し、アザだらけになりながら、
お父さんお母さんごめんなさい、もうやめて、と、
泣きながら哀願する自分の息子や娘の顔を、
「頭では分かっているんだけど、
どうしても止められない、殴りたくなるんだ。
頭ではわかってるんだけどね。ごめんね」
と言いながら、殴り続けるのだろうか。
どんなことをしてでも、どんな手を使ってでも、
自分の虐待を止めようとするのではないか。
自分責めをしている人は、
これと同じ事を自分にしているのだ。
もうお分かりだと思うが、
我が子を虐待しながら、
神を感じたり、聖霊と対話したり、赦したり
なんて絶対にあり得ないのと同様、
自分を虐待しながら、聖霊お願いします、
取り消してください、なんて、絶対にあり得ない。
だって、
神や聖霊に何とかして下さいと言っている時点で、
人に丸投げ状態で、やめる気なんかないんだもん。
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そこで、自分責めをストップさせるには、まず、
自分(我が子)に優しくすることが不可欠となるが
自分に優しくするとはどういうことかというと、
僕は自分の全てを受容することだと思っている。
そもそも、
自分が取った行動、相手に対して抱いた感情、
に対して、それはよくないもの、と判断した結果、
そこに罪悪感が生まれ、自分を責めてしまう。
また、相手から攻撃された時、自分が悪いんだ、
と思った結果、そこに無力感が生まれ、
やっぱり自分を責めてしまう。
そんな時、僕たちスピ兄弟はどうするかというと、
奇跡講座学習者なら赦しを実践し、
バシャール信奉者なら罪悪感を手放そうとし、
あやこさんや並木さん系なら統合しようとする。
しかし、もう皆さん体験してご存じのように、
世界は無い、と聖霊に委ねてみても、
手放そう、と次元シフトしてみても、
鉄の球体を転がしてみても、
やっぱり、罪悪感や無力感は無くならない。
委ねる、手放す、鉄の球体を転がす行為は、
どこか、自分から分離させる、
何かを切り離すイメージがあるので、
この無理やり感が無意識の抵抗となってしまう。
なので、僕が自分責めを止めようとした際、
全ての感情や思いに許可を出し、
どんな思いも、全面的に受け入れると決心した。
例えば、
他者を責めるくらいなら自分を責めた方がマシ
という想いも、他者を傷つけたくない、という
優しい気持ちの顕われなのだから、
そんなことを思って苦しんでいる自分も
全肯定してやり、苦しむことに許可を出してやる。
責めている自分を100%受け容れてやるのだ。
他人から攻撃されることに恐怖を感じているなら
いつもオドオドしている自分に、
オドオドしていてもいい、と許可を出す。
だって、怖いものは怖いもん、それが正解だ。
「俺のせいにしやがって、あいつマジムカつく」
と怒りが湧いているなら、そのまま怒らせてやる。
怒り心頭に達している自分のままでいいのだ。
こうやって、今、ここに現われている、
そのままの自分を許容することこそが、
最も自分に優しい行為であり、それこそが、
今、この瞬間に抵抗しない、の真意となる。
こうやって、
ダメだダメだと自己否定している自分、
容姿がよくないことを気にしている自分、
イジメられて傷ついている自分、etc~、を、
赦そう、とか、手放そう、とか、愛で見よう、
とする前に、先ずはそんな自分をとことん肯定し
許容し、受け入れてやることで、
どんどん自分に力強さが戻ってゆく。
そうなると、やがて、少しづつではあるが、
きちんと相手にノーと言えるようになったり、
こうしたい、と相手に伝えられるようになったり、
他人のための不必要な頑張りをしなくなる。
自分責めを止めるコツは、
赦すよりも、まず今の自分を肯定しろ、
手放すよりも、まず今の自分を受け容れろ、
統合するよりも、まず自分の想いに許可を出せ、
それがどんなにエグいものであっても、である。
自分の想いを無視して神に頼っても無駄であり、
想いを聖霊に委ねても、想いなんて届かない。
どんなに最悪に思えるようなことでも、
自分から出た想いなのだ。
自分が受け止めてやらないでどうするのだ。
自分が「それでいいんだよ」と言ってやらないで、
誰が自分を癒してやれるのだ。
自分の子供を虐待していたらやめようとするのに、
自分を虐待していても、
「頭ではわかってはいるけれどね、えへへ…」
で終わってしまうのはなぜなのか、
他人から受ける攻撃の言葉は、
もうこれ以上虐待しないでくれ、
という、自分が自分に発した叫びである。