👆 名古屋の水族館(2023年9月)
というわけで、自己肯定感祭りは続いている。
まず、自己肯定感が高い人、と聞くと、
ポジティブ思考で前向きな人、自信に満ちている人、
引き寄せの法則なんかで成功している感じの人(笑)、
といったイメージを抱きがちだが、そうではない。
今の自分がどうであっても、そのままを受け入れて、
心から肯定できている人のことをいう。
ヘタレでヨワヨワな自分がチョー大好き、
めちゃビンボーだけど、そんな自分もイケてる、と、
本当に自己肯定感がある人は、人と比べたり、
外の状況で自分を判断することが〝少ない〟のだ。
自己肯定感と言うのは、何かを成し遂げたから高まる、
というものではなく、アイデンティティの底辺に流れる、
無条件に大丈夫な感じ、愛されている感じのことをいう。
言い方を変えれば、気分がいい、ことである。
この〝これでいい感じ〟はどんな時でも不変であり、
誰の中にも、共通して流れている。
例えば、自己肯定感が高いと、
人間関係のトラブルで、相手から怒りをぶつけられ、
悲しい、ツライ、自分なんかだめだ、と感じながらも、
何でかわからないが、まいっか、とドンと構えられる。
しかし、自分を責めていたり、自己肯定感が低いと、
この〝安心している感じ〟を、得体の知れないもの、
なんだか怖いもの、と認知してしまう。
前回の記事で紹介した、アタッチメントスタイル診断で
僕は断トツの安定型(自己肯定型)だったが、
だからと言って否定的な考えがなくなるわけではない。
それでもやっぱり、そんな自分が好き、なのだ。
すごい昔、兄弟てっちゃんから、
「香港さんは自分大好きだからねえ」
と言われたことがある。
その時は〝自我の自分〟が好きなんだねえ、
と言われたみたいで、すごい後ろめさを感じた。
(これは言った相手の問題ではなく、
そう捉えている僕の問題である)
でも今ならわかるが、自分が好き、で正常なのだ。
それは、数年前、絶対に自分を責めない、と決心して、
コーヒーを飲みながらほっとする、というような、
小さな小さな安心と気分の良さを味わいながら、
少しずつ少しずつ自分を癒していった結果だ、
と思っている。
そうやって、自己肯定感が高まってくると、
オセロがひっくり返るように、
あらゆることが反転しはじめる。
例えば、
人前で相手に合わせてへらへら笑っている自分が
嫌でしんどい、と思っていたのが、それは、
相手を不快にさせないための愛から来ていた、と、
自己を認める方向から自覚できるようになると、
これがまた不思議なことに、
へらへら笑いが、実際になくなってしまうのだ。
何とかせねば、と思っている時は、
全然なくならなかったのに、
全肯定で受け入れた途端、それが消えてしまう。
そうやって、自己に対する肯定感が癒されて初めて、
神へ向かう準備は整う。
と、今日はこんな感じで…。おやすみなさい。