外は終日篠突く雨。
雨の日に家でぐだぐだすることほど気持ちの良いことはないのだ。
それでも細かい、星屑のような罪悪感は出てくる。
まったく気にも留めない思いの流れまでもが罪悪感から来ていることを知る。
〝せっかくの休日なのに昼過ぎまで寝ていた。〟
〝真昼間からワインを飲んでいる。〟
〝分別せずにガラスの空きビンを捨ててしまった。〟
〝昨夜は執筆に専心するつもりだったが、ネットばかり見ていた。〟
〝6月に一時帰国申請を出すが、稟議を通すにはどんな言い訳がよいか。〟
どんなにひとり気分よく過ごしていても、思考はぐるぐるとせわしない。
幻想の世界に無意識の罪悪感が反応して、
うっすらとした後悔と後ろめたさが引きずり出される。エゴだ。
すぐに赦す。
が、一度罪悪感や後ろめたさを感じた上で「それはない」と赦していることに気づく。
そういうときは、迷いなく兄貴に渡して、ハートだけを感じるようにする。
星屑のような思考がエクスタシーに変わる瞬間が来る。
しかし、職場での赦しに比べ、家での赦しって、なんて余裕があってラクなのだろう!
あんまり〝キツイ〟やつも来ない。
専業主婦の人とかって、きっとこんな感じなのかな。
まあ、早く我が家へ帰りたければ〝お花畑で温存〟状態は短いほうがいい、とは思う。
さあ、いまから少し執筆に専念しようっと。
執筆の前にはいつも好きな作家さんの文章を1-2ページ読む。
そうやって文章の格とリズムを脳になじませるのだ。
今日は大陸の作家:張賢亮の『男の中の半分は女』を飛ばし飛ばし読む。
60年代の文化大革命時代の作家だが、
こんなにエロい文章を毛沢東の時代に書くなんて、
このおっちゃん、かなり溜まってはりまんなあ。
それになんでこんなにすごい題名を考えられるのだ。
見ただけで興味をそそられるような題名。
このブログを書き始めて一か月と少し経った。
読み返してみると、一か月前のことが、もう何年も前のことのように思える。
書き留めておかなかったら忘れてしまっているような些細なことがらがたくさん書いてある。
また、その日一日の事を正直に書くことで、
自分で自分の気づきを深めて行っていることも見て取れる。
兄貴の導きに感謝だ。