人がいない時間帯にと、今日は朝6時にジムへ行った。
しかし、誰もいないフロアでひとりマシンを動かしても、全然テンションが上がらない。
やはりこういうのは、ある程度人がいてこそ、やる気が出るものなのだとわかった。
肩と腕を鍛えた後、いつものようにストレッチエリアで瞑想をする。
最近やっているのが、あやこさんの統合ごろごろを改造した、
兄貴引き渡し瞑想だ。もちろん自分流。でも、すごく自分に合っている。
〝聖霊兄貴にお任せ〜〟って言われても、任せられたかどうかなんて、よくわからない。
なので、僕はこうやって自分に一番合った儀式を自分で作ってやっている。
お金を払ってワークに行っても、自分に合った方法やコツは自分にしかわからない。
要は依頼書が兄貴に渡ればそれでOKなのだ。
間違っていれば、いつか必ず兄貴から修正が入る。だからモウマンタイ(無問題)なのだ。
ということで、僕の場合はこうだ。
目を閉じる。眼前に太陽のような光の固まりが輝いている。
その光と重なるように、苦手な人、嫌な出来事の中心になった人をアップで出す。
その人をしばらく感じてみる。いやな感じを逃げないで思い切り感じてみる。
これは自分の罪悪感を外へ投影したものだから、その人は自分そのものなのだと自覚する。
引力に引きつけられるように、その人が光の中へすっと吸い込まれてゆくのを観る。
小さくなったその黒い人型が、一瞬大きく光って光の球(太陽)に溶けて行くのを注視する。
兄貴に向かってお願いします、と呟くと同時に、光がわわわわ、と広がるのを感じる。
罪悪感を投影した他の人たちを、同じ方法で次々と光(兄貴)へと渡してゆく。
最後に、兄貴に渡したすべての人たちが、光の中から一斉に笑顔で、
こちらに歩いてくるのを受け入れる。
最初はクリスタルの中へ入れて転がしたり、依頼書を光に溶かしたりしていたが、
転がる様が見えないし、依頼書に何を書けばいいかもわからないので、
そのままその人を光に放り込んでいる。(といっても自分を放り込んでいるのだが…。)
これをやったあとは、なぜか、その人に対するわだかまりがすべて消えている。
なんか、最近暇があればこれをやっていて、人目をはばからずやるので、
周囲の人たちからはどこか神秘がられている。
ジムを出て、コーヒーを飲みに行こうと思ったが、人の多さを思って断念した。
というのも、先週立ち寄ったパシフィックコーヒーが学生たちのたまり場と化していたからだ。
そう。いま、香港は受験シーズン真っただ中なのだ。
香港では新学年が9月から始まるので、センター試験及び大学入試は6月に行われる。
土地が少なく人口過密な香港では、6畳1間に8人で暮らすなんて当たり前。
そのため、この時期、勉強場所を求めて、図書館やスタバで受験勉強をする学生が急増する。
香港の義務教育は小学校6年、中学校3年の9年間。
それからさらに高等中学へ2年間通ってから、センター試験を受ける。
その試験に合格すると大学予備過程へ2年間通う。
この2年間で大学の教養課程をすべて終了し、その試験に合格して初めて大学へ進む。
なので、大学は3年制で、そこでは専門過程しか学ばない。
店内では友達や恋人同士、教科書を広げ、一見頑張って勉強をしているように見えるが、
実際には、ほとんどおしゃべりばかりで、勉強に全く身が入っていない。
1人で勉強している子も、参考書を3分見たら、スマホを20分という感じで、
ちっとも勉強がはかどらない様子だ。
それにパソコンを使って勉強する人も多く、まさに受験勉強はネットと自分との戦いとなる。
何かをしようとすると、必ずその気を逸らそうと、何か別の誘惑が立ち上がる。
父に繋がろうとすると、必ずその気を逸らそうと、何か別の思考が立ち上がる。
そう言えば、今書いている小説『ジンジャー・タウン』も同じ状況にある。
3行書いては他のことをし、また3行書いては止まる。
ああ、俺はどうすればいいんだ。
そうだ。まゆゆだ!まゆゆを見習うのだ!
よっしゃ、てっぺんとったんで!(もう終わらせるんちゃうんかい!←兄貴)ツッコミ担当