香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

哀愁でいと

ええーっ!あの笹井教授が…。うそー!

花の14年組の中でも、小保方さまの背後でひときわ影が薄く

あまり目立たない存在だった笹井教授。こんなことになるなんて、ううーっ。

小保方さまが敬愛してやまなかった恩師だけに、彼女のショックはきっと

計り知れないものがあるのだろう。

ワイドショーでは、誹謗中傷に耐えかねて、とか、スタップ細胞の存在に疑問を抱きはじめ、

など、いろいろと取りざたされているが、死を選ぶ人の心情は、

結局その人本人にしかわからない。

また、彼が〝うつ〟に陥っていたとすれば、脳内物質であるセロトニンが正常に分泌されな

い状態で、そうなれば、ひどい落ち込みや自殺願望を、本人の理性や意志だけで

コントロールすることはほとんど不可能だ。

とはいっても、全ての出来事は、彼がずっと隠し持っていた自己に対する〝罪悪感〟が

頂点に達した結果だったのだな、とは思う。

本当は何も起こってはいないので〝罪〟なんかないのだが、

そんなの、科学で証明された常識しか信じない社会の中で暮らしている人には、

到底理解できるはずもなく、ただただ残念だとしか言いようがない。

彼が生きてこのまま研究を続けていれば、僕が80歳になったころには、20歳に若返る

方法が確立されていたかもしれなかったのに。

しかし、もうこうなれば、僕の若返りは小保方さまに託すしかない。

負けるな。小保方さま!

そして、いつか僕を50歳若返りのための臨床実験に起用して!

そうそう。

うつ病と聞いて思い出したのだが、僕が大学時代に付き合っていた彼女がうつ病だった。

もともと理系で秀才だった彼女は医者になることが夢だったのだが、

自分が叶えられなかったピアニストになるという夢を娘に託した母親が、

無理やり彼女を音大に直結した音楽高校へ入れてしまったことがきっかけで、

彼女はうつを発症した。

当時はまだ今のように〝うつ〟が広く知られていない頃で、僕も一度彼女に付き添い、

精神内科へ薬をもらいに行ったことがあった。


口もきけず、ただぼうっと一点を見つめてどん底へ落ちている彼女と共に、

待合室の椅子に並んで腰かけていたときのことだ。

突然、入口の自動扉が開き、40歳くらいの男性が田原俊彦の『哀愁でいと』を歌いながら

入ってきた。花柄のシャツに、一体どこで買ってきたんだろうと思うような、

右半分が白、左半分が赤のズボンを穿き、虹色のサスペンダーをしていた。

髪型もデビュー当時のトシちゃんそっくりなのだが、顔はどう見てもおっさんなのだ。

当時すでに田原俊彦の全盛期は過ぎていたが、このおっさんトシちゃんの出で立ちは、

デビューしたてのトシちゃんそのものだった。

〝I say Bye-Bye 哀愁でいと あざやかな

 Bye-Bye 哀愁でいと 笑顔みせてよ

 Bye-Bye 哀愁でいと 醒めすぎた罪な奴〟

ここまで歌うとまた元に戻って、バイバイ、と始まる。長椅子と長椅子の間の通路を

全力振り付けで歌いながらノリノリでやってくる。

ええーっ、なに?このおっさん、と放心状態で見ていると、

「ああ、どうもすみません。お騒がせしまして…。」

おっさんトシちゃんの背後を母親らしい人が小声で謝りながらついてくる。

「ねえねえ。看護婦さん。ボクねえ。昨日ねえ。UFOを見たんだようっ!」

これまたトシちゃんそっくりの舌足らずな口調で、受付の看護婦さんに話しかける。

看護婦さんは顔も上げず「保険証出して!」と一言。

「すみません。はい、すみません。」と母親がペコペコしながら保険証を差し出す。

そしてまた、全力の振りで〝バイ!バイ!〟と始まる。

「そしたらねえ。UFOからねえ。宇宙人が降りてきたんだよね。すごいっしょ!」

そう一言言って、また再び〝バイ!バイ!〟となり、母親が謝る。

僕はと言えば、あまりの衝撃にしばし硬直状態、ただポカンと、この光景を見つめていた。

隣を見れば、ハイなおっさんトシちゃんには目もくれず、

髪を前に垂らした彼女が、藤圭子さながら、ジトーっと暗く落ち込んでいる。

まだ純情な大学生だった僕は、入ってはいけない領域に足を踏み入れてしまったという

恐怖と後悔で、ただただビビりまくっていた。

やがて、おっさんトシちゃんは処置室に連れて行かれた。

後で看護婦さんが教えてくれたのだが、彼はうつ病とは反対の躁病患者で、

うつ病は自殺をしない限りは絶対に死に至ることはないらしいが、

躁病は放っておくと何日でもご飯も食べず、睡眠もとらずに〝哀愁でいと〟を踊り続け、

最後には心臓が弱って死んでしまうので、たいへん危険なのだそうだ。

また、躁状態の患者には薬も効かないらしく、筋肉までもが躁状態で硬直しているために、

江頭2:50状態が永遠続き、注射針も折れてしまうのだという。


それにしても、どうして〝哀愁でいと〟だったのだろう。

考えれば考えるほど、人って不思議だ。