今日、深圳工場で残務処理をしていると、ちょっと、と取締役に会議室へ呼ばれた。
入ってゆくと、得意先の人がいて、名刺交換をした。
この会社、この名前、この顔。見覚えがある。
確かずーっと以前、僕が香港に来たての頃に就職した会社で、
担当になった得意先のA氏だ。
かなり昔のことなので、相手も僕のことなど覚えてはいなかったが、
僕は鮮明に覚えていた。
まだ90年代だったと思う。
当時、僕は広州での留学を終え、香港にある日系電子部品メーカーで、
営業マンをしていた。現地採用社員だったので給料も安く、
家賃や税金を払うだけで精一杯の毎日だった。
日本人の男性所長と香港人の営業マン、
そして数人の女子スタッフがいるだけのちんまりとした
事務所で、少人数のほうが気楽かなと思い、ここに入社を決めた。
しかし、ところがどっこい。ここの所長がもうとんでもないコンババで、
意地の悪さを絵に描いたような人だったのだ。
年齢は55歳くらい。すごく痩せていて、オマケにチビでハゲ。爬虫類のような眼をしていて、
部下の自尊心を傷つけるのが大好きだった。
まず、得意先で僕を紹介する時には「こいつ現地採用で給料が安いんですよー。」
と紹介する。得意先の人が目を丸くしていると、
「それに、労働ビザのサポートをウチがしてやっているんで、
逃げたくても逃げられないんですわ。出稼ぎ労働者。悲惨でしょー。ははは…。」
と続く。こういう感じのことを、どこの得意先に行っても言われた。
オフィスではいつも香港人の営業マンと大声で喧嘩していて「この意地悪ババア!」
と叫んでいる営業マンを何度も見た。ジジイではなく、ババアだ。
僕は絶対にこの香港人営業マンと口をきくなと所長から言われていた。
用事で所長だけが出かけるときは、一旦出かけた後、10分くらいしてから
わざと戻ってきて、僕たちが仲良くしていないか確認したりしていた。
また、外回りで使った交通費の請求をしても、なかなか支払ってくれない。
催促すると「だから現地採用はガツガツして…。」と舌打ちされた。
結局、その所長は僕が入社してから3、4カ月くらい経った頃に本社へ戻され、
それでようやく、この辛いパワハラからは解放されたわけたが、
こうして今日、当時の一番辛い時期に営業でいつも訪問していたA氏を見ているうち、
当時受けた屈辱や、理不尽な扱いなどが次々に思い出され、
言いようのない怒りと悲しみがこみ上げてきた。
午後、香港へ戻る車中でも、所長のあの爬虫類のような眼が思い出され、
胸がブチブチと沸騰状態になった。
自分では何も解釈せず、何も判断せず、ただ兄貴に修正をお願いして待つ。
が、いつものようにはいかない。
ずっと忘れていた20代の頃の記憶で、なぜいま、こんなに怒りが込み上げてきてしまうのか。
それに、なんであのA氏が、突然この張りぼての舞台上に現れたのか。
兄貴が設定を使って導いたとしか思えない。
ずっと温存していた何かを削除するために、この設定を使ったのだ。
ギイィィーッ! ちょっとキツイが、全ての判断を放棄して兄貴に渡しつづける。
長い会社員生活の中で、営業をやったのは後にも先にもこの1年足らずの間だけ
だったが(それ以降は管理畑を歩んだ)、自分はこのときの事が原因で、
人前で恥をかかされることを極端に恐れるようになったのだな、と今日改めて気づいた。
まあ、僕にだって、ちょっとキツイ、こんな日もあるということだ。
目の前に置いて、感じて、何も起こっていなかったことを確認して、兄貴に渡す。
沈澱していたヘドロがボコッと浮きあがってくるように、
突然こういう古傷を見せられる。
あの時の自分を認めてあげよう、とか、ありのままを受け入れよう、とか、
すべての現実は自分がつくってたんだ、とか、そういう解釈を一切いれない。
ただの0と1の設定だから。
父の愛だけにとどまる。本当にあるものしかいらない、と宣言する。