新しく入ったシッピング担当の女の子の歓迎会を兼ね、お昼休みに飲茶へ行った。
でも、あんまり食べられなかった。理由のない満腹感は続いている。
大好きなふかひれ入りシュウマイが出てきたというのに…。
今週はずっと香港事務所で、各拠点の来期の予算を策定して過ごした。
うちは決算期が7月なので、10月の売り上げが出た時点で、大体の売り上げ予測をつけ、
人件費や経費をもう一度見直すのだ。
まあ、主婦の人が、旦那の収入がこれだけだから、大体これくらいの生活でやっていこう、
と算段を立てるようなものだ。
ここにこんな人員は必要ないだろう。
社用車を3台も保有する必要はない。1台にして、後はレンタルにすればいい。
会計事務所の監査費用高すぎ。来期から別の監査法人へ変更だ!
この総経理、海外出張が多すぎる。今後はどんな出張も稟議を上げてもらう。
あれ?なんか、削ることばっかり考えてる。
数字のお遊び。
でも、これが今の僕が削除を依頼すべき赦しの場だから、なにも考えないで淡々とこなす。
できた資料をケリーに渡し、エクセル表に反映してもらってフィニッシュ。
そうこうしているうちに佛山工場の総経理から電話がかかってきた。
彼は、以前このブログに書いた、あの購買部長だった人なのだが、なんだか様子が変なのだ。
(※4月19日 5月7日の記事ご参照願います)
ずっと咳をしていて、37度5分くらいの発熱が続いているという。
鈍いというか、覇気がないというか、受け答えがとんちんかんというか、反応がおかしい。
聞けば、ずっと顧客監査でここ3週間、夜2時まで仕事をしているのだという。
工場が立ち上がったばかりで、内装も遅れ、試作品の不良率が57%もあるということで、
部下との摩擦も絶えず、本社からはサポートをするという名目で、
口を出すだけの人が何人もやってきては、
「あれはどうなってる。これはもっとこういう風にやらなきゃだめだ。」
と、ピーチクパーチク言ってくる。
得意先の技術の人たちもずっと現地に張り付いているため、対応に手が抜けないのだという。
そこへ、僕が予算の件をを持ち出したものだから、
またひとつ負担を増やしてしまう結果になった。
この総経理、働き盛りの45歳くらいの人で、普段は冷静で理論派タイプなのだが、
部下から反発されたりなんかすると、
「じゃあいいです、後は僕たちでやりますから、あなたはもう帰ってください。」
というような、典型的自責型タイプの人でもある。
もう、意地になっているようで、見ると、メールの返信が連日夜中の2時3時になっている。
「いつこっちへ来れますか?」と聞かれ、何とか来週時間を調整し、現地入りすることにした。
こういううつ寸前の人を前にしたとき、
「なにも起こってない。すべての意味づけをやめて、赦して、ただ兄貴に委ねるだけ。
後は放っておけばいい。」
と言って、本当に放っておく、ということはしない。
仕事だし、現実的な対応を取る。
来週本社に連絡をし、少し休養をとらせるよう相談することにした。
家にいて、コースのことだけをやりながら過ごす人の赦しと、
大勢の人間関係の中で行う赦しは、すこしやり方が違うのだと僕は思う。
どちらも起こってはいないので、赦しの質や容易さは同じなのだが、
アプローチの仕方が違うように思うのだ。
「意味づけを止める。何も起こってない。」と言っている自分も起こってない、
というか、幻想の群衆の中に、赦しを行おうとするけどなかなかできなくて、
まだこんなことやってる、と葛藤してしまう幻想の自分さえをも含めて関わらない、
そんなスタンスが必要になってくる。
だから、現実で、肉体の自分が相手の話に反応したり、
一緒に誰かの悪口を言っていたとしても、一度認識をしたあとは(ここが大事なのだが)、
そんな自分も含めて放っておく。
だれだれさんと、ああだこうだとやりあっている自分も含めて起こっていないとタッチしない。
何もしない、とは、何かをやっている自分に対しても何もしない、静かにしている、
ということなのだと、仕事を通じて理解させられる。それが兄貴に渡すということなのだと。
ただひとつ、起こっているように見える事柄に関して気をつけていることがある。
「ああしたほうがいいかな。こうしたほうが得かも。こうやったほうが効率がいい。」
と自分であれこれ考えて動かないようにはしている。
ただ、その時にでた自然な反応に任せ、あとは放っておく。
ここはもう、兄貴から〝じっとしてろ〟と再三言われるところだ。
昨日は9時に寝たので、今日は朝4時に目が覚めてしまった。
さあ、これからジムに行こうっと!