久しぶりに清算中の深圳工場を訪れた。
殆どの設備は運び出され、残ったのは廃棄を待つデスクや廃材のみになっていた。
2階へ行くと、財務室でふぁちゃんが一人仕事に励んでいた。
彼女も再来週からは新工場へ移動をする。
今日は一日〝ひとりワーク〟をして過ごした。
名付けて〝起きてないごっこ〟。
これは、認識する全ての映像に対して、
起こってないと心の中で強く宣言し、兄貴に渡し、あとはただ放っておく、というゲームだ。
乗ろうと思っていたバスが、お茶を買っている間に出てしまった。
起こってない→渡す→放っておく
お弁当を買おうとしたら、卵が腐っていた。
起こってない→渡す→無視
私は攻撃をしているのではなく、よくするために指摘しているのです、と言う人に対して、
起こってない→明け渡す→関わらない
タクシーに遠回りされた。
起こってない→渡す→意味づけをしない
ただ、風に揺れる木々を見て、
起こってない→渡す→考えない
明日までに予算実績管理表をまとめるよう指示が来たとき。
起こってない→渡す→判断しない
ちょっとした、誰かとの会話から、ペンを床に落としたことに至るまで、今日一日、
全ての些細な事柄にもこの法則を適応して過ごした。
そんなに忙しくなかったので、もう徹底してやった。
起こってないと心の中で宣言した後に、依然びゅんびゅんが続いていても、
あとからその事柄を思い出して〝きいーっ〟となっても、ひたすら無視。相手にしない。
以前から、現実が夢の映像に見えるようにはなっていたのだが、
夕方くらいになると、映像が、ただ流れては消える走馬灯のように見えはじめた。
サイレント映画を見ているような、寝ているときの夢の中にいるときのような、
ガラス一枚隔てて見ているような、不思議な感覚に襲われた。
ただ、静かにひゅんひゅんを感じていた。