今日のフィギュアスケート、グランプリファイナル中国大会の男子フリーはすごかった。
あんなアクシデントがあったにもかかわらず、羽生選手も閻涵も、棄権をしなかった。
陸上競技や球技と違い、フィギュアスケートって他者を打ち負かす競技ではなく、
自己を表現する世界、完全に自分に向かってゆくスポーツなんだな、と思った。
起こっていることは幻想で、何の意味もないけれど、それを見て感じているハートは真実だ。
彼らの演技を見てハートがひゅんひゅんするのは、きっとそこに投影されている
神の愛を感じるからなのだろう。
今年は鈴木選手も真央ちゃんもいなくなり、ちょっとつまらない、と思っていたが、
今年は男子フィギュアが盛り上がりそうだ。たのしみー!
話はまったく変わるのだが、日常の設定を生きていると、さまざまな人と接し、
その中でいろいろなストーリーが展開される。
相手が言った一言、またはしぐさなどで勝手なストーリーを作り、
一人、腹を立てたり、あの人がこういう行動をしたのは、私が、または、あの人が言った
こういうことがきっかけだったに違いない、とあくせく真相究明に走ったりする。
僕の場合、ストーリーでどんな誤解が生じたとしても、本当はどうなのか、
と探りに行くことをほとんどしなくなった。誤解されたらそのまま放っておく。
もともと起こっていないのだし、ただ放置プレイ、あるのみなのだ。
これは起こってない → 故に罪はない → 兄貴、お願いします → 放置プレイ
放置プレイ。これいい。なんか、カイカン…。(お前はヘンタイかっ!)