香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

来る来る来る…。

今日は一日香港でお仕事でした。

昼休み、近くのケータイショップへ行き、今のi-Phoneを、i-phone plusに切り替えてきた。

新しいプランは月々380香港ドル(約4,500円)のかけ放題、ネットし放題で、

その上、日本と中国とアメリカの通話が、毎月30分までタダになる。

ただ、16GBの分しかなく、68GBのケータイの入荷が2週間後になるということで、

今日はとりあえず契約だけしてきた。


モンコクの女人街を、散歩がてら、ぶらぶらと歩きながらオフィスまで帰った。

すぐ近くで働いているのに、ここを通るのは初めてかもしれない。

なんだか、不思議な時空間に迷い込んだようで、面白い。


午後の遅い時間、技術者募集のために、チムサーチュイのインテリジェンス香港を訪ねる。

担当者の会議が長引いているとかで、瞑想をしながら担当者を待つ。

ここのところ、すっかり定着してきた〝起こってないごっこ〟であるが、

同じパターンばかりだとマンネリに陥ってしまうということで、

今日は新たなパターンを試してみることにした。

これがまたなかなか強力なのだ。とくに今回はハートを取り入れることにした。

これは全部ウソっぱちだ → 故に分離なんか起きてない → ただハートを静観

ハートを感じるのではなく、静観する、と言うところがミソで、

ハートを感じに行こうとすると、意識に横取りされたハートの部分のみがひゅんひゅんし、

意識まじりのハートのエクスタシーになってしまうということに気づいたのだ。


みぞおちの少し奥の方でひゅんひゅんしている、意識混じりのハートは一旦無視し、

そのさらに下の方に広がる、広大な〝ハートの愛の海〟を静かに観るようにする。

まるで沈殿物が舞い上がろうとでもするかのように、

爆発的なエクスタシーの塊りが、たゆたいながら、せり上がってくる。

来る、来る、来る、でも、来ない。

また、どうやって、その中へダイブすればいいのかも分からない。ただ静観するのみ。

あと一歩で全て凌駕される、というところで寸止めを食らっているような気分。

喩えがこれでいいかどうかは分からないが、もう少しで通りそうな鼻づまり、

といったところか。あれ、ちょっと違うかな?(笑)

でも、まあいい。

これを繰り返していれば、いつかハートの方から勝手にやってきてくれるのだろう。

光の一歩は自分でやることではないようだ。


また同時に、これまで経験してきた、あの天城越えのエクスタシーが、

意識に取り込まれたハートの、ほんの少しかすった、小さな1部分を感じて

ひゅんひゅんしていたにすぎなかったのだ、と今日はじめて実感した。

(※4月30日/5月8日の記事をご参照願います)


もう、おおもとのハートでやっていこう。

だが、それは感じようとするのではなく、観ることによって発見される領域なのだ。

静かに待つしかないのだ。


そんなことをしていたものだから、担当者が後ろに立っていたことに気づかなかった。

彼はじっと瞑想している僕を見て、なにか不思議なものを感じたらしく、

それからも「不思議な方ですねえ。」を連呼していた。


帰りのバスの中でも、ずっとこの〝でっち上げ解体ワーク〟をやっていた。

見るものすべてに、でっち上げを宣言し、仮面の奥にあるひかりの存在を静観した。

終点近くになってようやく、乗り過ごしてしまったことに気付く。

まあ、いっか。

これは全部嘘なのだし → 故に分離も起こってないのだし → そして、ただハートを静観

チンチン電車に乗り換え、来た道を引き返す。

車内の、このレトロなわびしさがまたたまりませんわ。

ない奥に、でんと横たわるハートの愛の海。


意識がかすめ取った〝天城越えひゅんひゅん〟ではなく、

この、なにかとてつもなく大いなるものが充満している領域にあるエクスタシー。

これに凌駕されたら一体どうなってしまうのだろう。

考えるだけでも…。ああ。

きっと、ホームレスになって橋の下で寝ていたって至福だろうなあ。