突然、明日から秩父に住むことになった。
とりあえず、荷物をまとめ、身体だけ移動させるように会社から命令が来た。
引っ越しはそのうち時間を見つけて行なうことになった。
会社の要請で、基本的にはもう香港に帰ってくることはない。
こんなに急に…。 正直、辛い。さびしい。
秩父なんかに住みたくないし…。
心が重い。鬱々としながら荷物をまとめる。
と、そのとき、目が覚めた。
我が家のベッドの上。いつもの日曜の午後。
ああ、よかったあー。夢だったあー。
心底、ほっとする。助かった。
何も起きていなかったんだあ。秩父行きは、全部嘘だったんだあ〜。
そして、いま自分が見ているこの現実も、これと同じ、夢なんだな、と思う。
しかし、なんで秩父なのだろう。
ていうか、秩父ってどこ?
夢を見ている時は、本当にそれが起きているとして、へこんでいた。
そして、この秩父行きの夢のあと、
自分が見ているこの現実の世界こそが、
無意識の世界の顕れだったんだ、ということが、腑に落ちて理解できた。
父の待つ故郷へ戻って行こうとする時、無意識の罪悪感を完全に解体する必要がある。
無意識は無意識ゆえに自分ではコントロールできないので、
兄貴に渡して解体してもらうのだが、何のことはない、
無意識の罪悪感は、眼前の現実の世界に、見え見えになっているではないか。
だから、外に見えるものすべてを〝これは起きてない〟として否定し、手放してゆけばいい。
しかし、これだけでは、なーんか味気ない。どこか、虚無っぽい感じがする。
そこで蘇ってきたのが、自分は神の子だった、という自覚だった。
「僕は、神からくる無限の愛、無限の力を全て受け入れます。」 と自分に宣言してみた。
自分が神の子であるのなら、神の無限の力を継承しているはずだ。
しかし、夢の中の自分は無限ではない。少なくともそうは思っていない。
それは、神から与えられている無限の力を、自ら拒絶しているからに他ならない。
だから現実を赦すだけではなく、
これからは神の無限の力を思う存分発揮して、楽しんでいこう。
そうすることで、神との分離は起こっていない、という自覚が強化され、赦しやすくなる。
ただ、自我の自分ではなく、本当の自分(兄貴)と共にやるようにする。そこはブレない。
自分が魔法使いや超能力者だと思い込んでいた、あの幼いころのように、
神の子の力を楽しむのだ。
まあ、そんなこんなで、
ちょっとだけ、神の子の自覚が出てきた、
そんなお籠りの日曜日、でした。