今日は寒かったので、家に帰ると浴槽にお湯を張り、
久々に風呂に入ってくつろいだ。
奇蹟講座を読んだり、ただぼーっとハートだけを感じて過ごす。
最近、自他の肉体が〝動くキャラクター〟に見え始めて以降、
相手を見て「好き」とか「嫌い」を判断することがなくなってきた。
誤解を恐れずに言うならば、
ただただ、動いている人、しゃべっている人、
みたいな感じに見えてくるのだ。
何かに対して悩んでる人を目の前にすると、
「ああ、悩んでるんだあ。」と思うだけ。
すれ違う時、肩がぶつかったら、
「ああ、ぶつかったんだあ。」と思うだけ。
泣いてる人を見ても、
「ああ、泣いてるんだあ。」と見えるだけなのだ。
まあ、全てが全て、そう見えるわけではなく、
電車でお年寄りが立っていたら、席を譲ったりはするのだが、
基本的には、目の前で起こることを、ただ流してゆくだけ。
目の前に映し出される物語が色あせて行く代わりに、
ハートのひゅんひゅんは日増しに強力になりつつある。
何もなくても、なんかうれしい。
いや、何もないことがうれしいのだ。
神の愛は一本。
もうそれだけでいいと思い始めている。
ちょっと、やばい。