昨日一日、香港事務所で、各拠点ごとの
予算実績管理表をチェックしたり、
ローン契約書にサインしたりして過ごした。
ずっと、デスクに座り、パソコンの数字と
にらめっこしていると、数字について、
ある感慨がわいてきた。
僕たちは数字の権威を信じている。
「大体このくらい」という曖昧な量を数値化すると、
たちまち信憑性を帯び〝信じてよいもの〟に変わる。
売れ行き、順位、身長体重、年齢、収入、所要時間…。
数字って、レベルの差を見るための、
もっとも最強なエゴのツールなんだな、と思った。
租税公課いくらいくら、業務委託費いくらいくら、
この人の年齢何歳、あの人の給料いくらいくら…。
今日1日数字を明け渡しつづけた。
信じない→差などない→神の子しかいない→削除依頼
と、まあこんな感じで、ここ最近は平安である。
なので、平安だからこそできる赦しをしている。
安らいでいる時、不意に出てくるちょっとした
〝チッ!〟を捉え、きちっと赦してゆくことで、
次に映し出される投影を取消すのだ。
例えば、
エレベーターが閉まる寸前にばんっ、と手を扉に挟み、
むりに乗り込んでくる人とか…。
さっきちょっと昔のブログを読み返してみたのだが、
起こっていること自体は当時とさほど変わらないのに、
いま、毎日がやたら平静で穏やかである。
職務が変わったからと言って、以前起こっていたような
きつい出来事が消えてしまったかと言われれば、
そうでもない。出来事自体は起こっている。
なのに、平安を感じるのはなぜだろう、
そう言えば、この世界が幻想だと、
完全に、本気で100%、心底納得した瞬間があった。
その時から赦しに手ごたえが出はじめ、
相手の見かけに騙されなくなったな、
ということを思い出した。
この世界は、夜眠っているときと同じ、ただの夢で、
夢の登場人物も、地下鉄も、会社も、ネットも、
全部自分(意識)が投影している妄映だ。
本当に妄映だと心底腑に落ちて、
このスタンスで24時間過ごすようになれた頃から、
〝見かけの差〟を信じなくなった。
兄貴へ差し出す〝不要な思い〟を
深刻にならずに明け渡せるようになり、それ以降、
本当に起こっていないとを自覚できるようにもなった。
それまでは、起こっている事をリアルに喋った後に、
「まあ、これも起こってないんだけどね…。」
と、付け加えるように納得させるような赦しだった。
昨夜は晩ご飯を食べた後、8時くらいに寝てしまった。
結果、10時間くらい寝た。
そう言えば、今日は大塚家具親子対決の日だ。
がんばれ、久美子!