『あなたは不死の神の子である。
全体であり、無辜(むこ)である。
すべては癒され、解放された。』
『不死という…』の中の一節だ。
今日は、関わる人ひとりひとりの心に、
この言葉を送り続けた。
もともとは〝精霊〟だった部分を、
〝神の子〟に替えてやってみた。
ケリー、郵便屋さん、UPSのおじさん、
バスでいつも会う人、弁護士さん、保険会社の人…。
自分がしゃべらなくてもいいときを見計らい、
無言でこの言葉を相手の中の聖性に向かって放つ。
相手がどういう態度を取ろうと関係ない。
これをやることによって、
相手が神の子であることを認め、
互いの聖性を維持し合えるのだ。
前にも書いたのだが、
一人でいるとき、人の話を聞いているとき、
または、人が何かやっているのを眺めているときには、
明け渡しや赦しを、比較的容易に思い出せる。
しかし、やってみれば分かると思うが、
自分が話しているとき、99%赦しができていない。
大概は、話し終えた後に、はっ、と気づいている。
言葉を発しながら、同時に赦しもするって、
今の段階では、ほとんど無理かもしれない。
話している間は、赦しのゆ、すらも忘れている。
まあ、聖霊と一体になって、聖霊が話すようになれば
別だと思うが、自分がしゃべっているときって、
絶対に無意識の思考状態に陥っている。
なぜなら、我々が会話する際には、
超高速ハイスピードで脳が反応し、
ほとんど思考すると同時に言葉を発しているからだ。
でないと、いちいち言葉の意味を吟味していたら、
コミュニケーションに支障が出る。
そう言えばハレ師匠がよく〝沈黙沈黙〟って言ってた。
言語を発しながらの明け渡し…。
明日、ちょっとトライしてみよっと。