香港さんといっしょ! 純粋非二元を生きる

欲望都市香港で奇跡を実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

死ぬより怖い強迫観念

朝、ビュッフェの朝食を取り、少し庭を散歩して、

いつかここに2,3日お籠りしたいなあ、

と思いつつ、モラー邸を後にした。


ただ、気になったことがひとつあった。

朝の朝食の際、レストランのボーイさんは、

アジア人は皆、室内の大部屋の席に案内するのに、

白人だと奥のボックス席か、テラスに案内される。


これって、人種差別じゃないの?


何年か前の自分だったら、

即刻マネージャーを呼んでいるところだが、

テーブルに奇蹟講座を置いている手前、

さすがにそれはできない。

これは夢だ。ただのでっちあげられた幻想だと、

きぃーっとなりながら、ひたすら兄貴に渡し続けた。

それにしても、肌の色で対応を変えるって、ウケる!

まるまる午前中、ずっと弁護士事務所で会議をした。

弁護士の王先生はすごく気さくでパワフルな女性。

いつも冗談を言いながら、場を和ませてくれる。

会計事務所から来た総経理の方も、すごく親切で、

分かりやすくスキームをまとめてくれた。

そして、みんなで一緒に上海料理を食べたあと、

上海虹橋空港へ向かった。


↑このガン見小学生。兄貴の化身かも。きゃーっ!

搭乗口前のブリッコカフェで、白ワインを飲む。

キンキンに冷えていてうまい。

なぜか、黄色いシャツを着た半ズボンの男の子が、

ずっと僕の顔をガン見しているので、

僕もガン見しかえしてやった。


さっきの男の子の呪縛か、その後家へ着くまで、

周囲の見知らぬ人々に対する〝小さな小さな殺意〟

を赦し続けるはめになった。

別に相手が何をしてくるわけでもないのに、

ちょっと目の前に立たれるだけで〝イラッ〟となる。

エレベーターで、自分が3階を押した後に、

誰かに2階を押されただけで、

〝コイツ、消えればいいのに。〟と本気で思う。

そんな感じの赦しが延々続く。


もういやだ。うんざりだ。

たとえ幻想であっても、兄弟をこんな風に見たくない。

絶対に嫌だ。断固拒否する。

神の子としての兄弟しか要らない。絶対に要らない。

そして最後、次のように一喝していた。


〝エゴよ!去れ!〟

〝無礼者よ!消えろ!私は無辜の神の子だ!〟


すると、なんだか風船がしぼむように、

しゅしゅしゅっとエゴの思考が収まって行った。


ああ、そうそう。そう言えば、

〝エゴよ!去れ!〟で思いだしたことがある。


まだ、香港へ来たばかりの90年代中ごろ、

なぜか〝足がなくなる〟という恐怖に

さいなまれた時期があった。

事故か何かで、足が切断されてしまうのではないか、

足がなくなってしまったらどうしよう。


当時、足がなくなるのは死ぬより恐ろしいことだった。

電気のこぎり、足の不自由な人、映画13日の金曜日、

もう見ることもできない。

新聞で事故の写真を見るだけで、もう耐えられない。


当時はスピリチュアルなんて全く知らない会社員だ。

何の根拠もないのに、足がなくなる恐怖に襲われる、

なんておかしいと分かっていながらどうにもできない。


恋人といても、おいしいものを食べても、

旅行へ行っても、誰と何をしていても、楽しくない。

何かの拍子に太腿に怪我でもしようものなら、

もう立ち直れないほど落ち込んだ。

思っているとそれが現実化する、と聞いては、

また怖れおののき、憂鬱になった。

死ぬのと、足がなくなるんだったら、

当時は、前者の方がましだと思っていた。


そんなことが1年ほど続いただろうか。

帰省した際に、何気なく手に取った生長の家の本に、

悪魔の思考が湧いて出たら「悪魔よ!去れ!」

と一喝しなさい、と書いてあるのを見つけた。

神の子が一喝すればそれは去るだろう、と…。

そこで、毎日毎日、その、

足がなくなったら、という恐怖が出てくるたびに、

〝悪魔よ!去れ!〟と大声で一喝した。

大声が出せないときは心の中で叫んだ。

何百回とやったと思う。

大声で嫌いな奴を追っ払うように一喝するのがコツだ。

結局2,3週間でこの強迫観念はなくなってしまった。

今日は、当時使ってた〝悪魔〟という言葉を、

〝エゴ〟に置き換えてやってたんだな、と気づいた。


あの強迫観念は一体何だったんだろう。謎だ。

しかし、いま、この時点でこのことを思い出すのは、

なにか兄貴の意図があるのだろう。

ちゃんと、丁寧に明け渡すことにする。