今日は昼から代休を取った。
仕事は山積みだったが、朝、突然、休もうと思った。
昼から、パシフィックコーヒーで創作をしたり、
ベトナム語を勉強しながら過ごした。
それから、ノースポイントの旧街道をぶらぶらした。
空間の裏側からハートの愛が透けてくる。
狭い舗道を歩いていたとき、一人の老人が
舗道からバスの車体に手をついて立っていた。
僕が歩いてゆくと、ぱっと手を放して、
僕を通してくれた。「ありがとう。」と、
片手を上げながら僕が通り過ぎると、
老人も手を上げ、笑顔で返してくれた。
露店でチャーシューを切っているおじさん、
買物かごを下げたおばさん、学校帰りの中学生、
ビルの壁、窓に反射する陽光、クラクションの音、
何を見ても、誰を見ても、愛に見えるのはなぜだろう。
別の空間に迷い込んだみたいだ。
景色は同じだけど、すでに反転した空間側にいる。
そして、実相(ハート)の世界は、
空間の裏側から連結しているのだ。
神は空間の裏側にいる。
今日は自分が、
〝生きながらにして天国に籍を置いている人〟だ、
ということに気づかされた、幸せな午後だった。
夜、ヌースの第5回目のレクチャーDVDを見た。
川瀬統心さんの分かりやすい解説で、
自己と他者、人間関係における観察子の勉強だ。
今回は物理学でも、数学でもなく、
独我論という哲学を用いて、
自分がこの世界にはいない、
自分は誰にも会っていない、
という事を理解していった。
その中で、心に残った話がある。
ある博士(名前は忘れた)が、
ハワイにある、囚人だけが収容されている、
劣悪な環境の精神病院でカウンセリングをした。
すると、次々と囚人たちが癒されて退院して行き、
しまいには、患者がひとりもいなくなって、
その病院自体が閉鎖されてしまった
という話だった。
その博士は、一体どんな手法を使って、
患者を癒したのか。
だが、実際に博士は、患者に一度も会っていない。
カウンセリングも一切行なっていなかった。
それどころか、挨拶すら交わしたことがないという。
博士がやってことは、毎日、出勤した部屋で、
患者の写真を見ながら、ひたすら自分を癒し続けた
だけだった。
写真を見ながら、自分の中から湧き出してくる、
苦しんだり傷ついたりする感情を、
ただ、そんなものはないのだ、と癒し続けのだ、と。
博士が実行した具体的な癒し方はこうだ。
本来輝ける神の子であるこの人たちを、
こんなみじめな囚人の姿として私の目に映らせて
しまっているのは、全て自分に起因している。
自分の彼らを見る目が汚れ、曇っているから、
彼らをそんなふうに見えさせてしまっているのだ。
申し訳なかった、本当にごめんなさい、
とこころから謝り、癒していったそうだ。
癒しを行なった後も、
長い間、患者には何の変化も起こらなかった。
それでもあきらめず、来る日も来る日もやり続けた。
すると、徐々に、症状の軽い患者たちから
癒されはじめ、数年後には全ての患者が
退院していってしまった。
この事実は、赦しがどれほどの力を持っているかを、
僕達に身を持って教えてくれている。
ただ虚しく、実践しているのではないのだ、
と、僕達に語りかけてくれている。
兄貴!そして統心さん。ありがとう。
よし。明日からもっとパワフルに行くぜ!
いいか。みんなも、パワフルに行こうぜっ!