人材派遣でおなじみ、インテリジェンスの主催で、
〝経営力強化に必要な20のこと〟
と題して行なわれた。
久々に大勢の日本人を見たので、胸がドキドキした。
スクリーンに映し出されたグラフや表を基に、
いかにして経営力を高めるかを講師が説明してゆく。
そのときは、ああなるほど、と聞いているのだが、
セミナーが終了し、会場の外に出た途端に、
さっきの講演内容を、覚えていないことに気づいた。
別に居眠りしてたわけでもないし、
講師の方のしゃべりも面白かったのに、なんで?
しばらく考え、ああこういうことか、と理解できた。
話にはまず、相手を引き込む〝ツカミ〟というものがあり、
それから〝ボケ〟て〝ツッコ〟んで、最後に落とす。
この起承転結があって、
初めてストンと脳への刷り込みが起こる。
お笑い芸人のみならず、ドラマや小説、論文など、
優れた文章はすべてこの4段落ちで書かれている。
この講師は多分、結論の部分、すなわち、
〝オチ〟だけを話していたので、
その時は、ああ、そういうことね、とわかるのだが、
前段階の〝刷り込み〟過程が全て省略されているため、
脳に定着しなかったのだ。
『奇跡のコース』でさえ、これで書かれている。
ある章を例にとると、
まず最初に「あなたは何が欲しいですか。」
とツカんでおいて、そのあとに、
あなたが欲しいのはエゴの真実ですか、
それとも神の真実ですか、とツッこんだあと、
エゴの信念体系を選ぶと、こんなんになっちゃった、
とボケてから、
聖霊と共に見て行くことで、神の真実が獲得できる、
というオチで締める。
また、多くのスピリチュアルマスターは、
自分の生い立ちや生々しい日常は一切語らず、
オチだけの話、すなわち、
気づきの後の美しい言葉だけを話すことによって、
逆にどこか神秘的な、奥深い感じを
醸し出したりしている。
同様のことは、多くのスピブログでも言える。
前段階を全部すっとばし、オチの部分、
「罪はない。世界もない。もう戻ってゆける。」
と、オチの部分だけを書いてしまったりする。
ただ、これだと、イメージは伝わるが、
内容がオチてこないのだ。
セミナーの間、絵を描いて過ごした。
うまく描けないので、何度も描いた。
顔を上げると、隣りのおっちゃんに
ずっと見られていた。
自分にツッコむ。
セミナーの内容が記憶に残らへんのは、
講師のせいでもなければ、
ボケとツッコミがないからでもない。
講演のあいだ中、ずっとうわの空で、
へんな絵ばっかり描いてたからやろ。
もとから、聞く気がなかっただけやんけ!
おいおい。
これがオチかいっ!
もうええわ。