出張でやってきた管理部長や、
例の、宇宙人について語っていた総経理と三人で、
香港事務所の来期の予算について夜遅くまで会議をした。
プロジェクターで映し出された画面の予算表を見ながら、
妥当性のある数字を入れてゆく。
予算を全て入れ終え、最後、損益分岐点を出す段になって、
数字がおかしいことに気づいた。
公式を見直しても、手計算をしても、
損益分岐点がありえない数字になる。
「ひょっとして、予算表の数字が違うんじゃない?」
と指摘する管理部長。
予算表の公式が間違っていると、
話し合って決めた予算の数字もオジャンとなり、
また最初からやり直さねばならなくなる。
表を作成したのは僕だから、大いに焦った。
あわあわと、ちょちょまいながらエクセルの数式を調べる。
結果、売上げ高の数式が一行足されていなかった。
これくらいなら、何とかなる。
僕は胸をなでおろした。
管理部長と総経理は、何事もなかったかのように、
予算固めを続けているのだが、僕の中は、といえば、
初歩的なミスをしてしまった、という罪悪感と、
ダメなやつ、と思われているんじゃないか、
という恐怖でいっぱいになっていた。
夜10時過ぎ、なんとか予算を確定し終え、家路につく。
その日はコーヒー以外、まだなにも口にしていなかった。
が、食欲はない。すこし、めまいもする。もうへろへろ。
〝父との分離は一度も生じていない。〟
〝このエゴの意識自体を放棄します。〟
〝エゴの設定も、考えも、全部まるごと父に委ねます〟
兄貴に明け渡し、委ねることに集中していると、
目の前に重複して連なる、iPhone サファリの
タブの列が現れた。
そして、僕が今この時点で横に動くと、
その無数に重叠するタブの中にいる別バージョンの自分も
同じように連動して、横に動くのが見えた。
その瞬間、全ての前世の出来事も、別次元での出来事も、
いま、ここで、同時に起きているんだ、とピンときた。
いま、仕事でミスをして、慌てているのと同時並行で、
無数のタブに存在している自分も、今ここで同時に、
無数バージョンのミスをして、慌てている。
例えば、
このタブにいる自分は、予算表を間違えて慌てた、
だが、
江戸時代のタブの自分は、そろばん計算間違えて慌てた、
であり、
石器時代のタブでは、木の実を数え間違えて慌てた、
であり、
別の次元では、間違えて慌ててる奴を笑っていた、
だったりする。
時間を横の線で見れば、これらの出来事はすべて、
過去に起こり、もう終わってしまったことのように
見えるのだが、時間を縦に見れば、
現在、自分がしていることの別バージョンが、
この瞬間に同時進行で行われているのがわかる。
そして、時間を縦に見ることが、
〝いまにいる〟ということだったのだ。
いま、ここで起きていること、または、
いま、思い出したことを赦す、ということは、
いま、進行している無数バージョンの自分のタブも、
兄貴に明け渡すことで、いっぺんに削除される、
ということなのだ。
そう考えれば、赦したほうが断然〝おトク〟だ。
そうだ、お得さん…になろう。