昼ごはんも食べないし、ジムへも行かなくなったので、
昼休みがつまらない。
今日は〝兄弟がしたいようにさせてあげる〟
をテーマにやってみた。
自分の中にあると思っている罪悪感や恐怖を、
兄弟に投影することを放棄するのだ。
特に今日は、相手に対するちまちまとした判断を
手放すことに専念した。
上海の弁護士さん(40代/女性)に依頼して、
作成してもらった書類に不備が見つかったので
電話をしたら、
彼女の口調が少しツッケンドンだった。
〝不備を指摘されて怒っているのかな?〟
〝言い方がまずかった?〟
〝今日は機嫌が悪いのか?〟
瞬時に、さまざまな思考を用いて感じようとする。
おっ、とっ、とっ、と…。
ちがう。ちがう。
投影の〝もと〟は自分の内側にあり、
先に自分の方から、
小さな怒りや憎悪を相手にぶつけ、
投影された映像を見て感じている。
オーケー!
彼女がしたいままにさせてあげよう。
自分はただ赦す眼差しでそれを手放そう。
そうこうしているうちに、
あの資料を作ってくれ、この事を誰々に確認してくれ
という類の依頼メールが飛び込んでくる。
これらの要求にいちいち答えてたら、
これからもどんどん仕事を回される。
ここは〝自分でやれ〟ときっぱり跳ね返さねば…。
おっ、とっ、とっ、と…。
そうじゃない。そうじゃない。
今日はそんなに忙しくないのだから、
兄弟が僕にそうしてほしいのなら、
やってあげればいい。
自分の中にある分離の〝もと〟を
兄弟に投影するのをやめれば、
兄弟が怖くなくなる。
これまで「明け渡す」「委ねる」
という言葉を好んで使ってきたが、
やっとここへきて「赦す」という言葉が、
しっくりくるようになってきた。
赦す眼差しで兄弟を観る。
まあ、そんな感じの一日でした。
って、まだ昼休みだし…。